2014年10月27日月曜日

戦前の家庭教育② 最近「格下の相手」という言葉を聞くが

戦後、戦前の教育は否定された反動か、最近は戦前は良かったという風潮が生じているようである。


私は完全に戦後の生まれであるが、昭和三十年代までは戦前の雰囲気が残っていたように思う。そこでの感じだが、確かに戦前の教育は、戦後言われるほど悪いものではなかったと感じている。

2014年10月17日金曜日

生きる哀しみ  七五三に想う


七五三の季節になると、思い出す風景がある。もう15年ほど前のことである。

上の男の子が七歳、下の女の子がちょうど五歳になったので、近くの神社に行った。

二人とも、着物である。特に下の女の子は、祖母が自分で選んだ五歳の子にはもったいない高額な着物である。私たちも一応、正装である。

お祓いをしてもらうために、手続きをして神殿に入ろうとした時に、神社に同じような女の子をつれたおばあちゃんがやって来るのが見えた。

おばあちゃんの服装は、家での普段着のままという感じで、子どもは着物ではあるが、背丈は合わせてあったが、決して高価なものでないことは一目で分かるものであった。

なぜおばあちゃんだけなんだろう
おばあちゃんは、女の子の両親に「七五三やらなあかんよ」と言ったけど「そんなもん、いいんでない」とか言われたのかなあ
それで、せめて自分だけは祝ってやろうと思い、量販店に売っている物を買ってきせてやったのかなあ・・・。

などと思いながら、神殿に入った。

お祓いが終わって、千歳飴などグッズが入った袋をそれぞれがもらい外に出ると、もう夕刻であった。

2014年9月29日月曜日

久しぶりの練習 チェロアンサンブルへの参加

6月に、チェアンサンブルというのに参加しませんかという案内を、交響楽団チェロトップのYさんからいただいた。

心身の不調から交響楽団を辞めて、もう2年近くになる。
決して調子が上がっているわけではないが、聞くと県内のチェロを弾く人に声をかけて、1ヶ月に一回程度集まり、練習をしたいと言うことなので、これなら何とか行けるかも知れないと思い、参加させてもらうことにした。

こうして声をかけてもらえることだけでも、ありがたいことである。

6月の最初の会の時は、交響楽団の人や学生さん等10人程度が集まっていた。7、8月は仕事の関係で参加できず、先日、9月の会に行ってきた。

時間10分前に会場に到着、とYさん一人だけが、ぽつんと・・。
こんな感じ

悪い予感が・・。

その後、時間になっても来たのは、この会の発起人でもあるA先生だけ。

で、それでは三人で始めましょうかとなったわけだが、

プロであるA先生、チェロトップのYさん、と2年ほどほとんど楽器を触っていない私という組合せは、なんとも具合が悪いではないか・・。

しかも、楽譜は初見

2014年9月28日日曜日

チェロという楽器 松脂再生方法① 真っ二つに割れた場合

私は、松脂をエンピツ、消しゴム、小型のエンピツ削り、チューナー、コンポジション(ペグの滑り止め)などをまとめて小さな袋に入れて、持ち歩いている。時々、その袋を落とすのだが、悪くするとその時松脂を割ってしまうことがある。今日は久しぶりに、チェロアンサンブルに誘っていただいたので、楽器を持って出たのだが、楽器をしまう時に落としてしまい、案の定、松脂を真っ二つに割ってしまった。

2014年9月16日火曜日

チェロという楽器 松脂のお話

これも定番の松脂についてのお話である。
今まで、使っていた松脂を並べてみた。


松脂という物を、最後まで使い切ったことがないということがわかる。他の方はどうなんだろう。
毎年、新しい銘柄が出るので使ってみたくなるということまあるのだが、2年近く使っていると、何というのかなあ、「潤い」というのが感じられなくなるのも、新しい松脂を買う原因となっている。何かの成分が抜けてしまうのでしょうか。

結局、結構長期間、Bernardelを可も不可もない感じで使っていた。(写真にも二つ写っていますね。行儀の悪い使い方をして真ん中に筋状のヘコミができてしまったので、新しい物を買った次第)、

少し緊張して弦への圧力が弱まると、キシキシとした音がするのが気になっていたので、最近はMelosのDarkを使うように・・。

 

2014年9月10日水曜日

チェロという楽器  弦のお話


こういうブログでは定番の、弦についての話を書いてみます。
 

いろいろな種類の弦が次々と販売される時代となりました。
新しい弦を張る時は、結構わくわくするのですが、大抵「こんなものかな」で終わることも多いです。それでも諦めきれず、しばらく使ってみるが、結局もとに戻してしまうこともしばしばです。

ただ、手軽に音色がかわるので、また新たな弦を注文してしまう。結果、使わなくなった弦がたまっていくこととなる。それも主にA線ばかりが・・・。

弦の組合せは、本当に難しいです。
日本では、一応の定番(ラーセンとスピロコアの組み合わせ等)はありますが、他の方のブログを見させていただいても、百花繚乱という感じで、様々な弦が推奨されている。どれが正しいのか、正解は無いというか、人によって正解は違うと感じます。

理由は下記のようなことがあるからでしょう。

①人によって音色の好みが違うこと。そのため評判の良い弦が自分の好みに合うとは限らない。
②弦は楽器との相性があり、人の楽器で艶っぽく聞こえた弦も、自分の楽器に張ると神経質な細い音になってしまうような場合がある。人の楽器と同じような響きを自分の楽器でも得られる保障はない。
③楽器は経年変化で音色が変わる時があります。また自分の好みの音色も年齢によって変化します。そのため今まで良いと思っていた弦の組み合わせが、自分の好みや楽器に合わなくなってしまうことがある。
④AD 線を替えると、GC線の鳴りも変化します。反対にGC線はAD線の鳴りに影響します。
⑤当日はなんてこともない音色だった弦が、三日経って弾くと、なかなか良い音に変化している時もある。
⑥四弦とも張り替えると、駒を立て直す手間が加わる場合がありますが、駒と楽器の接触面が安定するのに数日かかるような感じがします。弦の本当の鳴りは、この場合も少し待たないとわかりません。

おまけに、現在は多種多様な弦が販売されており、しかもそれぞれに強、普通、弱の弦が設定されているという、何とも手間がかかり、はまり出すときりがない世界ですね。


結局、弦の組み合わせは、人の意見を参考にしながらも、自分が納得するまで試行錯誤を繰り返すしかないという、ある意味、身も蓋もない結論になってしまいます。
ただ弦を換えると、変化はだいたいその瞬間にわかるので、試行錯誤自体楽しみでもあります。まあお金が続けばですが。


私の好みで、私の楽器でという限定で、弦について書いてみます。

現在使用中の楽器で、一番良かった組み合わせは

やや派手目で軽々と鳴る組み合わせなら
 (楽器も私も若かった時です)
  A線 ラーセン(ソリスト) 
  D線 ラーセン(ソリスト) 
  G線 スピロコア(タングステン Weich) ←Mittelではありません
 C線 スピロコア(タングステン Weich) ←    〃

濁音系でやや渋い感じで鳴る組み合わせなら
 (楽器は中年、私は初老かなあ)
 A線 パッシオーネ
 D線 エヴァピラッィ ゴールド 
 G線 ラーセン マグナコア
 C線  スピロコア(タングステン Weich) です。

濁音系ならガット弦もいいのでしょうが、私は使いません。
オーケストラなどに入っていると、音合わせなど管理が大変ということ(私は音合わせにもの凄く神経質です・・。あんなに音程が不正確なのに・・)、寿命が短いこと、またオケのなかで音が埋もれやすく、自分の音がとらえらきれないこと(まあオケ全体が大音量の時はスチール弦でもなにも聞こえませんが・・。)、また特に「演奏中に切れたら」という不安が去らない(学生の時のトラウマ)ということなどが理由です。

また、あまりにキラキラと響く派手な感じの音は好まないので、文中に書いてある派手目と言う言葉は、割り引いてとらえてください。


以下、私の弦の遍歴をだらだらと書いてみます。

2014年7月31日木曜日

チェロという楽器 弓毛と弦の角度について

私が、先生について習った時に、弓は図①のように、 弦に直角に当てるように言われた。
弓毛全面を、弦に接触させるようにということである。
原則は◎でと習ったが、実際は○になっている。

ところが、最近、ススキ式の先生に短時間だが習った時には、弦に斜めに当てるように言われた。図②のようにどちらかというと地面に垂直に立てる感じである。

どちらが正しいのであろう。

よくわからないのでネットで検索して見ると、図②の方が多いのだが、図①もないわけではない。
それぞれの解説も引用させてもらったが、どれもこちらの方が音がよいと主張されている。

図 ①
『弓を立てる角度は弦に対して垂直に、毛が弦に全部触れるほうが良い(◎のように)。地面に対して垂直という説もありますが、あまり寝かせないほうが良い。(実際は○のように自然と幾分指盤側に「少しだけ」傾きますが、、、。駒側に倒すことは無 い!!)はじめは、しっかりとした音を出せるように、弦に対して垂直に毛を全部付けて、立てて弾いたほうが良い。寝かせると弦に対する力の伝わり方が斜め になるため、圧力の伝わり方が傾ける分減少しますので、癖にすると将来、均質な音、強い音が出しにくくなります。また、ずっと寝かせた弾き方でガリガリ やっていると、弓のスティック(木の部分)をこすって削れてたり、横方向に曲がって変形してしまったり、など弓を傷めます。寝かせて弾く弾き方は、表現の仕方のひとつと思って、後ほど・・・』

図 ②
『写真からでもお分かりのように、弓は決して弦とピタッと向き合って接触しません。弦が斜めになっているのに対して、弓はほぼ垂直に近い形で接触します。これは重要なことです。弓の毛が弦に対して、ピタッと全部同じ強さ(弱さ)で接触すると、まず音色がザラザラした感じになって悪くなります。そして何より特に低弦において、音の立ち上がり(発音)が悪くなります。チェロはただでさえ大きくてバイオリンの発音の良さに必死で対抗しなければならないので、音の立ち上がりには是非敏感になって欲しいのです。≪図②≫の様に弦に接すると、一番端の毛に一番体重がかかり少しの重さでもしっかりと弦をくわえてくれて、敏感に音の立ち上がりを助けてくれます。そして、重さが増えれば増えるほど、一番端の毛はますます弦をくわえてくれて、ただちに発音してくれます。もちろん、指が弓と接触している部分は他の指と同様、絶対に動いてはダメですよ。』


チェロと師  田中 制 先生

私が、チェロを始めたのは大学の時である。それで、基本的なことは先輩から習った。東京の大学だったので、個人的に先生に習うことも可能だったが、レッスン代を聞いて、とても自分には無理だなとあきらめていた。

その後、先生についてきちんと基本を習いたいなと思ったのは、もう30歳を越えた時であった。ちょうど紹介をしてくれる人がいて、お習いしたのが田中先生である。


橘曙覧像 
もうその当時で60歳前後のお年で、容貌は橘曙覧ふうで、容貌通りの大きな声など一度も出さない、大変穏やかな方でした。あまり冗談を言われる方ではないのだが、一番最初の時だけ、「僕は青木先生に習った」ということと、「東京都交響楽団にいた」という自己紹介をされた後、「東京都響だから、上からよんでも下から読んでも東京都響」と言われたことを覚えている。

この先生から、まず楽器の構え方、弓の持ち方、弦のあて方から、左手の形等等、基本をもう一度、教えていただくことになるのだが、無理のない自然なよい弾き方を教えていただいたと思っている。

時々、取り組む曲を自ら弾いていただいた。あまり大きな音は出されないのだが、芯のとおったしっかりした味わい深い音色とひき方は、自分もあんなにできたらという思いを常に起こさせてくれる演奏だった。

またバッハの無伴奏を教えていただいた時には、数小節のフレーズに、十幾つかの注意点を言われ、演奏の奥深さということも教えていただいた先生である。

もう亡くなられてだいぶたつのだが、楽譜を見ながら、先生がおられたらどう答えてくれるかなと、今でも思う時がある。

不肖の弟子ではあるが、教わったことをこれからも、少しでも大事にしていきたいと思っている。

2014年7月21日月曜日

科学という学問③ 自然科学と社会科学の違い

先に、社会科学は、曖昧な部分が大きいというようなことを書いた。
そのため、社会科学者は、自然科学の手法を取り入れ、学問としての厳密さと客観性を確定しようとする傾向がある。

大学の一般教養の心理学や経済学で、ある種の数式を教えられた経験はだれでもあるだろう。(統計学のことではない)
しかし、その数式には、何の意味もないなと思ったことも覚えている。

社会科学が扱う大半の社会事象は、数式であらわされるような単純な要素だけで成り立っていないし、そこをあえて数式であらわしてしまうと、事象の大切な部分が抜け落ちてしまう。

自然科学者は
 安易に「曖昧」に逃げてはいけない。
 「厳密」に耐えなければいけない。

社会科学者は
 安易に「厳密」を求めてはいけない。
 「曖昧」に耐えなければいけない。  

       と思います。

2014年7月1日火曜日

日本車とドイツ車の違い③ 日本車は使いやすいんだが

ゴルフⅣについて書いていますが、最近は、妻のワゴンRに乗ることが多いです。
正直、使いやすいんですね、軽自動車。

「買い物に行く」
「母親を病院に連れていく」
「近隣の行事を見に行く」
など日常の使い方なら、日本車がいいです。

ドイツ車につきまとう妙な「重さ」は、年を取ると鬱陶しくなります。
昔は「がっしり作ってあんなー」と思っていたんですがね。


ところが、ワゴンRばかり乗っていると、何か物足らなくなります。そしてゴルフ君をひっぱりだして乗ることとなります。ゴルフの落ち着いた走行感は、なかなか日本車では得られないように思います。

日本車とドイツ車は、何か根本的なところで、違うんですね。

何がどう違うかと言われると、ちょっと困ります。
結局、「運転すれば、すぐにわかります」と言うか「運転しないとわかりません」が答えとなってしまいます。

ただ一つ言えるとすれば、欧州の車は、運転していて「おもしろさ」を感じる車が多いという感じはします。 

2014年6月28日土曜日

科学という学問②  「信じる」という言葉を科学者は使ってはいけない

 科学という学問は、西洋で発達した学問だが、キリスト教と密接な関係がある。

※ここでいう「科学は西洋で発達した」という意味は、科学的な発見、発明をさしているのではない。科学的な発見自体は、世界中に昔から存在する。科学という学問の持つ基本的な考え方を、現象を解釈する学問として成立させたのは、西洋人であるという意味である。

 普通、科学と宗教は対立する概念と思われているが、
西洋の場合、科学はキリスト教を母体に発達してきたという面があり、対立しているようでそうでもないという複雑な関係がある。

現在の物理学者や天文学者でも、物質の(または宇宙の)究極の姿があらわになった時に、そこに「神」の真理も見えてくると考えている人は、普通にいる。

しかし、そのような科学者が、決して使わない言葉がある。それは「信じる」という言葉である。

2014年6月12日木曜日

パピヨンという犬 育て方には注意が必要

パピヨンである。犬は、三匹目である。 前回は高校生の時だったので、久しぶりである。前の犬は、事故でなくしたので、もう犬は飼わないと思っていたのだが、その子犬の余りの可愛さに、思わず手を出してしまった。それほど可愛い犬だった。ゲージに雄と雌の兄弟で入っていたが、雄の方をいただいてきた。
座り方は少し変

ただし、パピヨンは、飼い方に注意が必要である。
いささか育てにくいのである。


まず、大変頭がよい。人の様子もよく見ているので、上手に育てると、よくこちらの様子を見て、人の先にたって行動できるようになるが、反対に甘い対応をしてきちんとしつけないと、手に負えなくなると思う。みかけより気が強いのである。

 また、小型犬ではあるが、じっとしていることがなく、大変活動的な犬なので、一日一回は空き地などで十分駆け回らさないとストレスがたまる様子がある。
室内犬ではあるが、家におきっぱなしにはしないほうがよい。

やっかいなのは、一旦しつけても人の様子を見てまた態度をかえることがあるところである。様子を見て自分の要求を通そうとする。基本的に頭はよいのだが、我も強いので、従順な犬とは言えない。
以前飼っていたのは柴犬であるが、これは一度しつけると、二度と同じことを言う必要はなかった。素直で従順なのは柴犬の美質である。

どうしても、妻が扱うとやさしくなるので、何を勘違いしたのか、妻だけでなく私に対しても、唸って恫喝しようとした時があった。

その瞬間に(ホントに、ガルルのガを言った瞬間)即「××△△■■・・・・・・・・・」して(とても具体的にはかけません)、その後、ベランダに連れ出し、15分程正座させ(単にお座りをさせだが)、こんこんと犬としての生きる道を説いた。
 
「何かご用はありませんかね?」
内容は
①犬と人間は一緒ではないこと。犬としての分際をわきまえること。
②常に主人の顔色をうかがうこと。主人が何を考え、何を求めているか、常に注視するのが犬としてのつとめである。
③同じ注意をうけないこと。受けた注意を真剣に受け止めること等等

まあ初老のおじさんが血相を変えて犬に説教してるという姿は、滑稽であったと思う。

しかし犬は言葉はわからないが、人間の気持ちやその気迫はよく感じ取るものである。随分、いろいろな生き物を飼ってきたが、真剣に接して真剣に可愛がってやることは、どんな動物に対しても、大切なことだと思っている。

こんなことが四歳になるまでに、三回ぐらいあったが、以来、唸って反抗することはなくなった。また人を噛むことは、生まれてから一度もない。(妻は噛まれたことがあります)
犬は小さい頃から甘噛みはするものだが、この犬にそれをさせると将来危ないという感じがあったので、甘噛みもさせなかった。またそれにつながる遊び方(タオ ルをひっぱりあって興奮させる等)もしなかった。たぶんしつけをしないでおくと、結構平気で人を噛むような犬になると思う。その他、指示にはきちんと従っている。

きちんとしつけると、大変すばらしい犬であることがわかる。においもほとんどしないし、被毛も長い毛があるだけなので、ブラッシングも楽である。
騒がしく吠えることもない。というかほとんど吠えない。
特に病気も怪我もしない。この犬は膝関節が弱いという話はある。確かに足の骨などは細くきゃしゃなので、運動はなるべく土の上でするようにはしている。
人と常に遊びたがるが、べたべたとはしておらず、何かきりっとした気質を感じる犬である。

室内犬は初めてだったが、人間と犬が密着しているので、双方が気持ちよくすごそうとするとしつける項目も多くなり、その分トラブルも多いように感じた。三歳になるまでは、手が少しかかったが、今は、彼も自分の立場を理解し、安定期である。


そんなことを経てわかったのは、パピヨンを飼う時に一番大切なことは、常に「俺がボスだ」という意識と態度で接するということである。これはどんな犬を飼育するときにも必要なことではあるが、この犬は常にそういう意識と態度で接する必要がある。リーダーシップを取ることを負担に感じる人は、飼わない方がよいと思います。

また叱っている途中で、かわいそうになって甘い態度は見せない方がいいです。犬が混乱するからです。可愛がるなら時間をおいてからで良いです。ただかなりきつく叱ったら、よく可愛がってあげましょう。 
また唸ったり、噛もうとすると吃驚しますが、私はそれがどうしたという態度で、気にもせずに叱りました。犬は犬、主人は人間なのです。こちらが精神的にひるむと、態度にあらわさなくても、それを感じ取れる犬ですよ。

その他、禁止事項やしつけたことは、
ソファーやテーブルにのること
ソファーに犬がくつろいでいる様子をテレビで見ることがあるが、我が家では禁止である。若犬の時に、初めてソファーに乗った瞬間に、ポンと手で払い落としたら、それで理解した。また椅子に前足をかけることもさせない。たぶん、犬にとってソファーはよくて、テーブルはだめとかいうのは、理解しにくいことだと思うので、そういうたぐいのことは、全面禁止にしてある。

②人間が食べているものはやらない。間食は原則なしである。ただたまに、ばあちゃんが、ポロリと落とす時があり、それはお目こぼしなので、人間が食事中は食卓テーブル下で待機している。

③和室と私の部屋(楽器が置いてある)には、入らないようにしつけている。これも、「ここはダメ」と言っただけで理解した。

④他の犬がよくやる家具や柱をカジカジとかじることは、特にしつけた覚えはないのだが、一切したことがない。この犬は、もともと何かをかじること自体、あまりする様子がなかった。

⑤トイレは、ベランダか散歩の時にするようにしてある。ゲージの中ではしない。がまんしているようで、都合で長時間ゲージになってしまう時は、中でしてしまう。申し訳なさそうにしているので「だめだぞう」と一言言うが、これは特に叱ることはしない。

⑥呼んだら、必ずくること 
この犬は、若い時には、呼ばれたことがわかっていても、その時の状況を自分で判断してすぐにこない場合があった。自分のやりたい事がある時で、こちらも、来なくても「まあ、いいか」と思う心理状況にある時である。こちらの中途半端な気持ちを読んで、自分のことを優先させる賢さを持つ犬である。だから、呼ぶ時には、「必ずこい」と気迫をこめて呼び、来たら褒めてやりましょしう。

それでも来なかったら、こちらから猛ダッシュして犬を追いかけ回しました(私も若かったのかなあ)疲れますが、何回かやると必ず来るようになります。追いかけられた時は「しまった、判断を間違ったぜ」という顔をしますよ。


ところで、この犬は、先に書いたように、ほとんど吠えない。何かあるときは「クンクン」と訴えるが、「ワン」となくのは、よほど驚いた時だけで、1年に1回あるかどうかである。吠えないようにしつけをした覚えはないので、鳴かない犬なのだと思っていたのだが、犬も寝ると夢を見るようで、よく「ゥワン ゥワン ゥワン」と寝言を言う。
 

本当は吠えたいのを我慢してるのかなあ。




日本車とドイツ車の違い②  使用状況と民族性の違い

諏訪湖  いつもここで一服
ゴルフⅣは、老体にかかわらず、快調に走っている。本当に故障はしない。ただひたすらガソリンを入れて毎日走るだけである。たまにエンジンオイルの量は点検するが、これもほとんど減ることもない。そして車検の時に替えるだけである。

先日は、東京まで行ってきた。

走行距離は往復1080㎞で、高速中心なので、満タン法だが15㎞/㍑ぐらい走っている。
 

特に不満は無いのだが、走っていておもしろい車でもない。

この車は、FF方式で、これだけ車重のある車は、どう走らせたらよいのかというコンセンサスができないまま市場に出してしまったような感じがする。どういう車を作るかという根本というか方向性に迷いが見られる。
ただVW社もそこはわかっていたようで、最近のゴルフの走りはなかなかおもしろいらしい。
 

ドイツ車と日本車の違いは、いろいろ議論があり、優劣論も盛んなようだが、自動車は生産国での使われ方と民族性を色濃く反映しやすい工業製品なので、優劣を論じても仕方ないと思っている。

2014年5月9日金曜日

日本の戦後補償について ② Q&A

以下も、資料として掲載しておく。

(1) 日本の戦後補償
先生が、日本は戦後補償をきちんと行なっていないように言っていましたが、新聞ではもう賠償は済んでいると書いてありました。本当はどうなのですか。


こういう質問、絶対あるはずだと思っていました。教科書を見ても、とても賠償が終わったようには書いてありませんからね。まさに“教科書が教えない戦後賠償”についてお答えしましょう。
 昭和20(1945)年、敗戦国となった日本は7年間の占領期間を経た後の昭和26年に、サンフランシスコ条約を結んで連合55国ヶ国中48ヶ国と講和をしました。この条約とそれに続く個別の国との協定で、戦争で日本が与えた損害に対して賠償を行なうことを約束し、ここから戦後処理が始まったのです。
 例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円にのぼります。これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
 それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円に達しています。
 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。ちなみに昭和30年のスチュワーデスの初任給は7000円でした。
 さて最近、韓国から個々人に補償を要求する動きが新聞やテレビで報じられていますが、これについても一言ふれておきましょう。
 昭和40(1965)年、日本と韓国は日韓基本条約を結び、日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払いました。そこで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて「両国民の間の請求権に関する問題が 完全かつ最終的に解決された」としたのです。民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で死亡したものの遺族への補償に使いましたが、大部分を道路やダム・工場の建設など国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げました。韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、全国民が豊かになることを選び、それが成功したのです。そして韓国のとったこの行動は韓国自身が決めたことですから、出した日本がその使い道にあれこれ言うことはできません。(外交交渉の中で、日本はなるべく個人への補償をおこないたい旨を韓国に伝えているが、それに対して韓国政府は、お金はすべて韓国政府に渡して欲しい。またそれをどう使うかは韓国政府の判断に任せて欲しい。というのが答えであった。

  ですから現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らなければなりませんし、私たち日本人も貧しかった中で、一生懸命働いて賠償要求に応じてきたという事実を知っておかなければなりません。こういうたった30年ほど前の努力を知らない若い世代ほど、“日本は金持ちになったのだから出し渋らず払えばイイ”などと無責任な発言をするのです。一方、30~40年前に膨大な償いを課せられた60歳以上の人々は、これに反対するのは当然のことなのです。

日本の戦後補償について ①  実績

日本の戦後補償の問題が話題になった時があった。あれは一部のマスコミが火を付けてやろうという意図のもと、世論をたきつけようとしたというのが真実だが、右の表は、その時に調べたものである。
私たちの祖父母、曾祖父母に当たる世代は、敗戦後の貧しかった中、一生懸命働いて、誠実に賠償要求に応じてきたという事実を忘れてはいけない。

2014年4月23日水曜日

ハイブリットカー 本当にエコなのか

プリウスを中心とするハイブリットカーは、日本人が生み出した自動車として、誇って良い存在である。欧米人は、あくまでハイブリットカーは、ガソリン車から電気への移行、つなぎの技術として見ていたため、あまり本気で開発しなかった。ところがこの移行期間が案外と長期間続きそうで、目論見が外れたという面はあるものの、ハイブリットは日本が自動車において示したオリジナルとして、高い評価ができる。

ただし、内装にせよ、乗り心地にせよ、もう少ししっかり作れよとは思う。

2014年4月22日火曜日

ゴルフⅣ ドイツ人とデザイン感覚

ドイツ人のデザイン感覚はどうなっているんだろうと思うことがある。もちろん悪い意味でである。
はっきり言って、ドイツ人の造形に関する感覚はダメダメという感じが強い。なにかごてごてとしてあか抜けないのである。VW車はもちろん、ベンツもBMWもアウディも同様である。簡素で可愛らしかったminiが、ドイツ人にかかるとどう変化したかを見ると、ドイツ人の造形感覚がわかる。
ドイツ人に美を作り出せるとするなら、機能美という美であろう。

造形という点で優れているのは、イタリア人である。彼らはどうしてあんなに官能的な美しさを生み出せるのだろう。
ただ美しいのではない。豪華で、結構きつい色づかいをしながら、下品に陥らず(というかやや下品なにおいを隠し味として使いながら)、車の外観と内装をセンス良くまとめている。他の民族の及ばない分野である。ラテン系の民族からすぐれた彫刻家が輩出することも、彼らの持つ独特の感覚が関係していると考えられる。

※一時、フェラーリに日本人デザイナーが登用されたことがある。彼が担当したという車を見たが、何にも似てないものをつくろうとする意欲は感じさせるものの、なんともあか抜けないものであった。フェラーリにとって最も大切な官能的な美しさのない、美的才能の無さを如実に感じさせるデザインでしかなかった。日本のマスコミは「フェラーリ在籍」というだけで、持ち上げているわけだが、デザイナーとしては、最も大切な「センス」が無い人である。

しかし、ゴルフⅣもこうやってみると、悪くない。一種の「かたまり」感というのか、全体としてのまとまりと存在感は感じるデザインである。初代のジウジアーロが確立した形が良かったことと、そのデザインの流れが、まだわずかに残っているためであろう。

2014年4月21日月曜日

歴史への視点② 靖国神社

歴史への視点② 靖国神社
靖国神社については、様々な論評がなされ、何が論点なのかもわかりにくい。

1,はっきりしていること
①鎮魂の社であること。
靖国神社は、軍国主義の象徴のような論評があるが、基本的には、戦争で死亡した戦士に対する鎮魂のための社である。

明治新政府は、下級武士と朝廷による合同政府という面があるが、実は戦争で亡くなった人を鎮魂するという発想は、武士にはない。

前田利家が死ぬ前に、女房のお松が「あなたは、多くの殺生をしているのだから、この帷子をきて死んで欲しい」と言ったところ、利家は「お互いに堂々と戦ったのだから、何の恥じるところはない。それで死んだからと言って恨み言を言うような女々しいやつは、わしが地獄へ行って成敗してくれる」といって聞き入れなかったという話がある。武士の死生観がよくわかるエピソードである。

2014年4月20日日曜日

若者の車離れについて

若者の車離れだそうである。昔ほど車に関心を持つ若者がいなくなっているということらしい。自動車評論家は、原因として若者を取り巻く娯楽が多様化したことや交通網の発達に伴い、車を必要としなくなったこと等をあげていた。

何を言ってやがる という感じである。

今の車のどこに、若者の心を奪うような車があるというのか。あるのは実用本位の真四角の車ばっかりじゃないか。前から見ると人相?(車相?)の悪い車も多い。あんな格好の車に乗りたいとは思わないだろう。他にあるのは、ハイブリットのか細いタイヤをはかせた、乗っていて何のおもしろみもない車である。若い者がガソリンが節約できてうれしいと思って車を選ぶわけがないだろう。スポーティな車にGT-Rがあるが1000万を超える車を若者はもちろん、一般の人の誰が買えると思っているのか。

それに若者=スポーティな車を好む という考え自体が古いと思う。

トヨタが86を出した。何度か街角で見かけたが、たまたまかもしれないが、運転している人はいずれも髪が白くなったおじさん連中ばかりだった。あれは、昔の若者がよいと思った車をもう一度出したに過ぎない。今の若者が「いいなあ」と思う車は、ああいう車ではないのである。

若い人で車が好きな人は、外車に流れるのではないかと思うが、この外車というやつは、昔と比べると随分ましになっているが、未だに若い人が気軽に買える値段ではない。

結果、若者は割り切って国産車を買うのである。

今の若者が選べる魅力的な車をメーカーが生産していないことが、車に興味を示さなくなっている理由であろう。

2014年4月18日金曜日

日本車とドイツ車の違い① ゴルフⅡという車から 

今の車の前には、ゴルフⅡCLI(MT)に12年乗っていた。
もう、見たこともない人が多いと思いますが、記憶に残っていることを書いておきます。

ゴルフⅡを購入しようと思ったのは、そのスタイルにひかれたからであった。夕刻、自転車に乗っていた私を、濃紺のゴルフⅡが追い越していった。その斜め後ろ姿が、とても美しかった。「ああ、こういう車に乗ってみたいなあ」と思わせるに十分な美しさがあった。

 当時、ゴルフⅡはそろそろモデルチェンジのうわさが出ており、機械的にも安定しているかと思ったこと、ディラー(ヤナセだが)も全国に配置され、修理にもあまり不安が無くなっていたことなどから、国産に比べると高い買い物だったが、購入した次第である。

乗ってみての感想は、簡単に言うと
    「ドイツ人恐るべし」 であった。

当時、日本はバブルに移行しようとする時期で、欧米なにするものぞという雰囲気もあった時代である。

そんな時に「東洋の方、自動車というのはこう作るものだよ」
というドイツ人の声が聞こえた。

これは名車であると素直に思う。

何が優れていたのか

書いてしまえば、コンパクトな外観からは想像できない広い室内、走る、曲がる、止まるの基本性能の高さ、腰の痛くならない良質のシート、何年たっても錆のこない塗装、衝突安全性、安定した高速性能等、車としての必要な諸要素が高い時点でバランスが取れていた・・という言い方になるのだが、ただコーナーを曲がるだけで、その正確に曲がる気持ちよさに感動した車は、初めてだった。どの面を取り上げても、とても当時の日本車の及ぶものではなかった。

乗って良し、走って良し、家族を乗せて良し、スポーティーに走ってもある程度答えてくれる万能車だった。
 
この車を作った技術者は、「世界一の大衆車を作ろう」と真面目に考え、そして実際、作り上げたのである。ドイツ人の論理性と妥協をしないという頑固さが良い面に出た一例であろう。

しかし、12年乗って、一ヵ月に1回は具合が悪くなるような状態になり、乗り続けることに不安がでてきたこともあって、ゴルフⅣに乗り換えたのである。その裏には、VWに対する信頼感があったことは間違いない。

ところが、その信頼感は、半分裏切ら、半分満足するという中途半端な結果になった。

ゴルフⅡが、まだ若くて素朴だが、顔立ちは垢抜けたところがあり(イタリアの血が流れているらしい・・・・)骨太で誠実な青年とすると、ゴルフⅣは、でっぷりと贅肉がついて(脂肪の下には、まだ筋肉はついてはいるが)、「世の中、マーケティングに妥協することも必要なんだよな」などとうそぶいている中年の男となっていた。
あの世界一の大衆車を作るんだという純粋で高い志に、迷いが見られる車になっていた。
この混乱はゴルフ6ぐらいまで続いたように見える。


今でも、ゴルフⅡが新車で売っていたら買いたいというか、あの時、少しお金をかけて修理をして、手放さなければ良かったなあと思う時もあるが、高速を走ると、100㎞で室内がうるさ過ぎて会話もできないという車は、今の時代、ダメでしょうね。

 






2014年4月16日水曜日

ゴルフⅣ もう少し乗るかね

 春を迎え、ゴルフは快調に走っている。セルモーターの引きずりも、気温が上がったせいか、ほとんど症状がでなくなった。
2013年7月に車検を通した直後は、ガスケットを交換したということで(本当に交換した様子である)、エンジンの回りが良くなかったが、11月に東京まで往復したところ、調子を回復し、燃費もよくなった。ヘッドライトも、はやりのHIDに自分で交換し、とても明るくなり満足である。中国製の安物なのでどうかと思ったが、今のところ大丈夫である。

※この時の車検の時、ファーレンFは、総額80万を超える見積もりを、何の説明もなくいきなりFAXで送りつけてきた。こうした行為を非常識という。メカニックが良い人なので(ゴルフⅡの時からお世話になっている)、車検をずっとしてもらっていたが、残念ながらもう二度とファーレンで車検を通すことは無いであろう。
 

あとはタイミングベルトとクラッチの交換が遠からずやってくるのだが、それをやると、あと2回ほどは車検を通したいところである。VWも日本にはMT車を導入する気もないようなので、故障が頻発しなければ、このままのるかなあという感じである。

本当は、もう少し小振りの車で、キビキビと走る車に乗りたいのだが、 MT車となると本当にない。VW社は本国でもDSGをメインにしていくのだと日本の評論家は言うが、それは本当なのか。
イギリスのVW社のホームページを見ると(ドイツ本社のはドイツ語なのでさっぱりわからない)、ポロであっても、エンジンや車体色の選択肢がたくさんあって、とてもうらやましいし、どの写真を見てもあいかわらずMT車が主流のようにしか見えないのだが・・・。

というわけで、実は次に乗る車がないのである。やれやれ・・・。

2014年4月14日月曜日

ゴルフⅣ タイヤ交換 ピレリP7×4で48,000円

ゴルフⅣ GTIには、最初、ミシュランがついていた。
現在は、ピレリ P7(205/55R16 91W)である。
 

50代後半の私にとって「P7」 というブランド名は、なんとも心地よい響きがします。
「P7かあ」という感じなのだが、今の人はただ、「?」ですね。

 
実は、私がゴルフⅡに乗ったときに付いていたタイヤがこのP7であった。この当時ゴルフのタイヤには、ピレリの他、ミシュラン、コンチネンタル、ブリジストンがあり、どれが付けられているかは、車が来るまでわからなかった。ピレリ7が付いているのを見て、こんな大衆車にいいタイヤを付けるんだなあと思ったのを覚えている。

このタイヤは止まる時の感覚が独特で、最初に接地面が停止して、その後、タイヤのたわみによって車体自体のいき足が止められ、車体が引き戻される感じがよくわかる停止の仕方をした。

現在のP7にも、同じ感覚が若干残っているのが、懐かしかった。

それにしても、長い間、作り続けられているタイヤである。
ゴルフⅣに装着して、5000㎞ほど走った。現在の基準で言えば、古さはいなめないのだろうが、なかなかどうして、走る 曲がる 止まるという基本はしっかりしている。また道路の状態もよく伝えてくれる。雨の日も不安はない。燃費は最初は、若干悪くなったかと感じたが、3000㎞も乗ると、改善され、前のタイヤ(ミシュラン)よりもわずかながら良くなっている。

乗り心地が堅いとか、音がうるさいとか言う口コミがある。
確かに音が静かとは言えないタイヤである。特に高速を走るとミシュランよりゴーゴーという感じの音がする。また乗り心地もやはりミシュランよりは、段差ではガタンガタンという感じの堅さを感じる。私は、そういう特徴を是とするが、タイヤ選択の観点に、静粛性と柔らかな乗り心地を重視する人は、選択しない方がいいだろう。

また、バランス調整に多くの重りをつけられたという口コミもあるが、私の場合は、各タイヤに一つから二つしかついていない。結構、高速も走ったがタイヤがぶれることもなく何も感じなかったので、タイヤによる当たり外れはあるのかも知れない。

一方、このタイヤは、空気圧による性格の変化が大きいように思う。2.5も入れると、かなり堅く、バタバタした感じになる。いろいろ試したが、ゴルフの場合は、前2.3 後2.2ぐらいが、乗り心地と操作性のバランスが良いようである。
空気圧は、経年とともに気温でも変化していくので、結構まめに調整が必要である。

ただゴルフⅡでの経験だが、ドイツ車に一番あうのは、コンチネンタルではないだろうか。地面に圧力をかけ、小さい段差などは踏みつぶすような乗り心地だが、反面、道路の情報はよく伝えてくれるタイヤだった。一般的には堅いタイヤと言われるものになるのだろうが、それならカーブですべりやすいのかというとそうではなく、コーナーはコンパスでトレースするように正確に美しく曲がっていく。よく地面をつかみ滅多にタイヤが鳴くことはなかった。一方、高速の直進安定性は、すばらしく、地面をつかみひたひたと走っていく。ゴルフのサスペンションチューンとタイヤ特性があいまって、車はこう走らせる物だというドイツ人の感覚がよくわかる組み合わせであった。
 

ゴルフⅡでもⅣでもだめだったのは、ミシュランである。乗り心地自体は、柔らかいのだが、コーナーでは、タイヤがたわみながら、踏ん張って曲がるという感じがあり、好みの問題にもなるが、こういう曲がり方は、運転していて道路の状態がつかみにくい。

 ドイツ車の剛性感の強いサスペンションとミシュランはあわないと思う。車をどう走らせ、曲げていくかという基本的な方向性が違うのである。その点、イタリアのタイヤは剛性感が結構あるので、案外相性がいい。
 

まあドイツ人とフランス人は昔から、仲が悪いし、ドイツ人とイタリア人は先の大戦では同盟関係だったことから考えると、相性は案外といいのかも知れないと、まあ、あんまり意味のないことも思い浮かんだ。

タイヤは試乗ができないので、購入してから「しまった」と思っても、何年かは使わざるをえないのが辛いとこだが、とにもかくにも、この値段(1本10500円で、工賃、タイヤ引き取り等全部こみで、48000円)で、この性能を得られるのなら、文句はありません。

※4年目を迎えました。4万㎞ぐらいは走りましたが好調ですよ。耐久性については、特に減りが早いとも、遅いとも感じませんが、昔の設計によるタイヤですからそれなりに普通に減るという感じですね。溝はまだまだ大丈夫です。細かなヒビもありません。(2017 4記)

2014年4月11日金曜日

ゴルフⅣGTI そろそろ乗り換え?

ブルーアンスラサイトという色です。写りが実際と違うなあ
ゴルフⅣGTI 12年目である。

最初の2年ほどは、トラブルもあった。特に小さかった子供を連れて、スキーの帰りに助手席側の窓が落ちた時は、少し驚いた。まあ全員スキーウエアを着ていたので、なんとかしのげたが・・。

以後は、ガソリンを入れては走るの繰り返しで、いつのまにか、オイルも車検時に交換するだけで、ノントラブルである。愛車とはとてもいえない扱いではある。

ところが、最近、セルモーターを回すと、キュルキュルキュルと異音がする。ネットで調べると、セルモーターの戻りが悪く、エンジンによって回されるトラブルということで、交換が必要な様子。

実は、この車の前もゴルフⅡCLIに12年間乗っていた。これも最後には、一ヶ月に1回は、トラブルが起き始めたため、手放したという経過がある。

タイミングベルトも交換時期だし、クラッチ(この車は日本では絶滅寸前のMT車である)もすり減ってきたし、入れ替えの時期かなあ・・。
しかし、次に乗りたい車がないのである。特にMT車にこだわると、選択肢がほとんどない。DSGというMTもどきも乗る気がしないし。

とか思っていたら、気温が上がったせいか、セルの戻りもよくなり、異音がほとんどしなくなった。

ちょっとほっとしている次第である。
 

2014年4月4日金曜日

早期教育の問題点② 子供を過度に鍛える親たち

子供に小さい頃から、特定の運動や芸能を習わせ.る風景はよくあることだが、そんな中で、朝から夜中まで過酷と言っていいような英才教育を施す親がいる。ゴルフ、野球、サッカー、テニス、ピアノ、ヴァイオリン等等。

あまり好き嫌いで物事を判断する方ではないのだが、私は、このような行為をあまり好きではない。

こういう親は、たいてい何か強烈な思いこみを持っている。そして、そういう親に育てられる子供は、親の思いこみによって可能性を奪われることになるからである。

2014年1月19日日曜日

歴史への視点① 天皇の人間宣言とアメリカの誤解

大戦中の日本兵は、勇敢に戦った、と言う表現は正しくはない。戦前の日本人は「真面目」に戦ったのである。変な表現であるが、この表現が最も的確なのではないかと思う。
日々の暮らしに真面目に勤しみ、言われたことを従順に守っていこうとする日本人の一面が、そのまま戦場でも発揮されたのである。

結果、戦局の最後には、純粋な若者たちが、「神風」の名のもと、自ら命を投げ出すに至る。

周辺の大人の意向は、様々であったにせよ、親や兄弟、妻や子ども、日本の将来のことを思い、散っていった青年たちの心情は「崇高」としか言いようがない。
激情や偏執的な感情にかられての行動ではない。
彼らは大学教育を受け、戦局についても冷静に分析していた者が多い。理性的に考え、決断し、命を捧げたのである。その心情に思いを馳せる時、傷ましさとけなげさに胸が詰まる思いがするが、そういう若者を歴史の中で私たち日本人は持ち得たということを忘れてはならぬと思っている。