2011年5月15日日曜日

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲

  今年の定演の演奏曲目は、シベリウスの二番とショスタコのヴァイオリン協奏曲である。何やら寒いところの作曲家を集めたという感じだが、シベリウスは良いとして、ショスタコの協奏曲は、以前、最初だけ聞いて「なんだこりゃ」という感じを持ち、何となく理解不能という印象しかなかった曲である。昨年楽譜をもらった時に、あらためてインターネットで調べ、聞いていたら、途中で寝てしまった。
  しかし、理解不能だった曲も実際弾いていくと、作曲家の内面のようなものがわかり、最後には感動するということが、結構ある。最近では、シューマンがそうであった。実はそれまで、シューマンはあまり好きでなかったのだが交響曲第3番「ライン」とマンフレットの序曲をやった時、「ああ、この人も才能のある人なんだ」としみじみ思った。ただその曲のリズムや旋律に「この人は確かに精神を病む人だな」と感じたことも事実である。
  そういうことがあるので、この曲も最後にはわかってくることを期待はしているのだが、今のところは、?という感じではある。
  今日の練習は、独奏者との合わせの練習であった。やはり協奏曲は演奏者がいないと全然感じがつかめませんね。演奏はTさんで、うちの楽団とは約20年ぶりである。演奏はあたりまえだが「たいしたものだなあ」と感心しました。
  ところで、職場環境が変わったこともあり、最近は練習に比較的よく参加できるようになっている。そして練習に行くびに、我が娘が少し不思議そうな感じで「今日も練習なの」と聞いていたので、何故そんなことを聞くのかと思っていたのだが、今日、理由がわかった。
  どうも娘は、交響楽団というのは、普段は練習が無くて、演奏会の一ヶ月前くらいに、みんなで集まって何回か練習して、演奏会にのぞむものと思っていたらしい。
  何故そう思っていたのかはおわかりですね。私のここ何年かの練習の参加の様子がそういうふうに思わせたのである。まさに「親のふり見て、子は育つ」である。
  我が娘よ  練習は一年中、週一であるのだぞ。それを知った時に大きな声で「ヘエー そおなのおおお」と驚いてくれるな。 
  しかし少しというか、だいぶ恥ずかしい話である。 

2011年5月14日土曜日

チェロの音 弾き込むと音は変化するのか 

弦楽器の世界では、よく「楽器が弾きこまれる」という言葉が使われる。

「新作楽器はこれから弾きこまれると、どんどん音が変化するので、楽しみである」
「この楽器は十分弾きこまれており、特有の渋い音がする」、
なかには、「この楽器は一時間以上弾くと、見違えるように響き出す」という表現もある。

楽器屋さんの話は、販売のために創作した「伝説」という面が多々あるので注意が必要だが、「弾きこむことによって、楽器の音が変化する」ことは本当にあると思います。