2011年10月16日日曜日

秋の演奏会 終了

2011.10.5
 秋の演奏会、終了。感想はよかったなあという感じである。演奏自体も良かったと思うが、指揮者がかなりご高齢の先生だったので、練習も1時間弱すると、細かく休憩が入り、リハーサルの時間も長くないものであったことが、私の現在の体力とぴったりだったという意味である。これが若い指揮者だと、やたらに力が入り、長時間のリハーサルでへとへとに疲れ切ってしまう場合がある。先生の枯れ具合が、私にとっても助かったという感じである。指揮も、たぶん感覚的には現代の演奏としては少し古いのだろうとは思うが、安心してついて行ける感じで、よかったです。

楽器に触れなくなっていること

2011.8.24
   例年のことだが、夏は楽器に触ることがほとんどなかった。たまに弾くと相変わらず良い音が出る。ただ好みの音かとなるとやや微妙である。去年、修理に出す前の方が音色としては好きだったという感じはする。音量は増し、音も少し派手な感じにはなったのだが。言わば、三カ月ほど我が子を都会に出したら、上品でおとなしめだった子が、少し派手な化粧をして、プチ整形もしたんじゃないかあといった感じで帰ってきたという感じだろうか。

 ただ楽器にというだけでなく、何事に対しても興味や関心がなくなっていることを感じる。元気という要素が体から少しずつ抜けていく。ただ交響楽団をやめるかと考えると、まだ寂しい感じがするので、続けていきたいとは思っている。老いてもますます盛んという人もいるが、だんだんと枯れていく感じが強い。

定演終了

2011,6,15
  定演終了。あまり期待していなかった演奏会だったが、期待以上のものがあった。violin独奏者のTさんは今まであんまり何の印象もなく、ふにゃふにゃした演奏をする人と思っていたのだが、今回は集中力、迫力などなかなかどうして大したものだった。
    実はTさんの演奏を聞くのは、今回で3回目である。1回目は今から15年ほど前で、メンデルスゾーンの協奏曲をやった時である。指揮者も同県出身の某指揮者で、今から考えると指揮者が悪かったのかなと思うが(やる気も音楽性も感じない指揮者だった)、何の印象も残らない演奏だった。2回目は、ある中学校の開校記念式の時(Tさんはこの中学校の出身である)だが、もう曲目も忘れてしまったが、中学生が相手なのに、何とも小難しい曲が並んでいたという印象が残っている。その2回と今回は大違いである。何が彼女にあったのだろう。
  まず今回のショスタコのバイオリン協奏曲は彼女の希望だったらしい。また中学校での演奏曲目も彼女の選曲だろうから、たぶんこういう曲が好きなのであろう。
    西洋音楽の中でも特に古典派やロマン派初期の音楽は、曲の全体構成を考え、建物を組み上げるような構想力が必要とされ、こういう部分は日本人が苦手とするところである。しかし、ショスタコは、構想力というより、集中して、ガッガッガッと弾いていけばよいという感じがする。それに彼女の適性があっていた。もしくは彼女もそれを感じているということが一つである。
  二番目の理由は、ちょうど中学校での演奏の時は、子育ての真っ最中であり、現在は一応それも一段落し、演奏家としての集中がもう一度できる環境にあると言うことである。
  いずれにせよ、確かに感動はそこにあったと言える演奏会だった。そして彼女自身も演奏家として進むべき方向性が見えているのだろうとも感じた。

2011年6月1日水曜日

早期教育の問題点① 音楽と才能

将棋の米長プロがこういう意味のことを言っていた。
「才能があるというだけではどうしようもない。 ここに集まってくる子供たちは、全員才能があるのである。その上で、努力を重ねる人間が勝利をつかむのである。」

将棋と同様に、音楽の場合も才能のある子供が、同じように努力を重ねるが、それで勝利がつかめるかというとそうではない。最後の最後にまた才能の有無が問題となる。

優れた演奏家になるためには、二つの才能が必要になる。
それは技術面の才能と音楽の解釈の才能である。 
これは絵画などの世界でも、同様である。

ショスタコーヴィチ  ヴァイオリン協奏曲 2

 定演まで二週間という時期にしては、何ともテンションが上がってこない。原因の一つは、例のショスタコである。理解不能という感じは今もある。大抵の曲は、弾いていると快であれ不快であれ、何らかの感情のリアクションがあるのが普通だが、この曲に関しては何もおこらない。言わば理解不能なのである。
 ただ最近、これは大変「陰鬱な」曲なのではないかという感じがするようになった。それも何か救いようのない閉塞感を伴う暗さ、そしてそれに対するイライラとした感じである。
 多分だが、この曲ができたのは、1948年なので、例のスターリンの時代である。スターリンと聞くと粛清、収容所、秘密警察、密告、盗聴などの言葉がすぐに連想される。この曲の陰鬱さは、あのどうしようもない時代の空気を反映しているとするなら、少し理解もできる。
 ようするに、この曲には、あのソ連の暗黒の時代の「におい」がするのである。あの時代の臭いのするものに、なじめないのも当然とも言えよう。ただ、曲想が現代的だと言うことだけが理由ではないのである。
    一つの芸術ではあると思うが、積極的に取り組みたいとも思わない曲 になりそうである。

2011年5月15日日曜日

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲

  今年の定演の演奏曲目は、シベリウスの二番とショスタコのヴァイオリン協奏曲である。何やら寒いところの作曲家を集めたという感じだが、シベリウスは良いとして、ショスタコの協奏曲は、以前、最初だけ聞いて「なんだこりゃ」という感じを持ち、何となく理解不能という印象しかなかった曲である。昨年楽譜をもらった時に、あらためてインターネットで調べ、聞いていたら、途中で寝てしまった。
  しかし、理解不能だった曲も実際弾いていくと、作曲家の内面のようなものがわかり、最後には感動するということが、結構ある。最近では、シューマンがそうであった。実はそれまで、シューマンはあまり好きでなかったのだが交響曲第3番「ライン」とマンフレットの序曲をやった時、「ああ、この人も才能のある人なんだ」としみじみ思った。ただその曲のリズムや旋律に「この人は確かに精神を病む人だな」と感じたことも事実である。
  そういうことがあるので、この曲も最後にはわかってくることを期待はしているのだが、今のところは、?という感じではある。
  今日の練習は、独奏者との合わせの練習であった。やはり協奏曲は演奏者がいないと全然感じがつかめませんね。演奏はTさんで、うちの楽団とは約20年ぶりである。演奏はあたりまえだが「たいしたものだなあ」と感心しました。
  ところで、職場環境が変わったこともあり、最近は練習に比較的よく参加できるようになっている。そして練習に行くびに、我が娘が少し不思議そうな感じで「今日も練習なの」と聞いていたので、何故そんなことを聞くのかと思っていたのだが、今日、理由がわかった。
  どうも娘は、交響楽団というのは、普段は練習が無くて、演奏会の一ヶ月前くらいに、みんなで集まって何回か練習して、演奏会にのぞむものと思っていたらしい。
  何故そう思っていたのかはおわかりですね。私のここ何年かの練習の参加の様子がそういうふうに思わせたのである。まさに「親のふり見て、子は育つ」である。
  我が娘よ  練習は一年中、週一であるのだぞ。それを知った時に大きな声で「ヘエー そおなのおおお」と驚いてくれるな。 
  しかし少しというか、だいぶ恥ずかしい話である。 

2011年5月14日土曜日

チェロの音 弾き込むと音は変化するのか 

弦楽器の世界では、よく「楽器が弾きこまれる」という言葉が使われる。

「新作楽器はこれから弾きこまれると、どんどん音が変化するので、楽しみである」
「この楽器は十分弾きこまれており、特有の渋い音がする」、
なかには、「この楽器は一時間以上弾くと、見違えるように響き出す」という表現もある。

楽器屋さんの話は、販売のために創作した「伝説」という面が多々あるので注意が必要だが、「弾きこむことによって、楽器の音が変化する」ことは本当にあると思います。

2011年1月9日日曜日

楽器の修理 完了

2010.12.14
楽器が直ってきた。金曜日に電話で連絡があったので、急遽、土曜日に上京することとした。妻も行きたそうな顔をしていたので、一緒に行くことにした。娘も行きたそうにしていたのだが、部活もあるというので冷たく却下。
 東京では、最初楽器屋さんによって、楽器の様子を確認し、弦高などを調整してもらい、その後東京見学、夕方に表参道のイルミネーションを見て、最後に楽器を受け取り、帰りました。

    さて修理した楽器の様子だが
楽器をぱっと見た時に、駒が高いなあと感じた。「ネックを上げました」(店主)と言う言葉通り、ネックの取り付け角度が明らかに違っている。また、弦が全部交換してあった。C、G線はスピロコアのタングステン弦を長年使っていたのだが、新しいのは、どうも同じスピロコアのライトゲージでないかと思う。A線は、ラーセンのソリスト、D線はラーセンの普通のやつでこれは以前と同じである。