2014年10月27日月曜日

戦前の家庭教育② 最近「格下の相手」という言葉を聞くが

戦後、戦前の教育は否定された反動か、最近は戦前は良かったという風潮が生じているようである。


私は完全に戦後の生まれであるが、昭和三十年代までは戦前の雰囲気が残っていたように思う。そこでの感じだが、確かに戦前の教育は、戦後言われるほど悪いものではなかったと感じている。



例えば、スポーツ観戦をしていて、今は自分の応援するチームや人が点数を入れた時、相手のミスによる場合も、まあ見苦しいほど喜び、歓声をあげるが、少なくとも昭和三十年代の日本人は、相手がミスをした時は、決して歓声も上げず、拍手もしなかったと記憶している。
相手のミスを喜ぶのは賤しいという気持ちがあったのである。

また勝敗が決まれば、勝利の喜びをあからさまにすることもなかった。

外人は、日本人はなぜ喜びをあわさないのか、素直に感情表現をしない、何を考えているかわからない民族と感じたようだが、日本人にとって、勝敗が決まればそれでよいではないかという思いがあり、それ以上、勝利の喜びをひかえるのは敗者への配慮であった。 

いわば武士の気風が、普通の庶民にまで広がっていたのであろう。このような慎ましさも、高度経済成長と共になくなっていった。今では一部の武道にそんな気風が残っているだけである。

※試合終了の礼も終わっていないのに、空手も柔道も平気でガッツポーズをする。国際大会では、負けて悔しいのか、外国選手の中に終わりの礼もしないものがいる。こういう時に、即座に長期間の出場停止を命じる矜恃がないのなら、もうこれらの団体は武道を標榜するのはやめられた方がいいのではないか。
  

反面、公共意識というものは、良くなかったと思う。

当時は町内会などの寄り合いなど時間通りに始まったことなどなく、まずは30分は遅れて始まるのが普通であった。
道にゴミを捨てる、つばを吐く。花見に行けば平気で枝を折る。汽車は終点につけば、新幹線であっても床は弁当がらなどのゴミだらけであった。
このような気風も、高度経済成長と共に、急速になくなっていった。企業に所属する人が増え、時間の厳守などが意識されていった結果であろう。

まあ戦前の家庭教育が一方的にすばらしかったという考えは、幻想だろうなあ。確かに良い点もあったのだが、戦前の家庭教育は、戦前の社会状況の中で成立したものであり、良い面と悪い面もそれらと密接に結びついており、良いとこだけを取ってくることは不可能である。人間は過去に戻ることはできない。

しかし、最近、放送局がスポーツ番組で「格下相手に」という言葉を平気で使うようになった。
今までの日本人は決してこのような言葉を、口に出さなかったし、今でも中高生の部活で生徒がこのような言葉を使えば、指導者は強く叱責すると思う。
ところが民放だけでなく、某国営放送までこのような賤しい言い方をしていたのには驚いた。
このような言い方は、近隣の某国では日常的に普通に使うようだが、日本人はどうなってしまったのでしょうね。










0 件のコメント:

コメントを投稿