2014年7月31日木曜日

チェロと師  田中 制 先生

私が、チェロを始めたのは大学の時である。それで、基本的なことは先輩から習った。東京の大学だったので、個人的に先生に習うことも可能だったが、レッスン代を聞いて、とても自分には無理だなとあきらめていた。

その後、先生についてきちんと基本を習いたいなと思ったのは、もう30歳を越えた時であった。ちょうど紹介をしてくれる人がいて、お習いしたのが田中先生である。


橘曙覧像 
もうその当時で60歳前後のお年で、容貌は橘曙覧ふうで、容貌通りの大きな声など一度も出さない、大変穏やかな方でした。あまり冗談を言われる方ではないのだが、一番最初の時だけ、「僕は青木先生に習った」ということと、「東京都交響楽団にいた」という自己紹介をされた後、「東京都響だから、上からよんでも下から読んでも東京都響」と言われたことを覚えている。

この先生から、まず楽器の構え方、弓の持ち方、弦のあて方から、左手の形等等、基本をもう一度、教えていただくことになるのだが、無理のない自然なよい弾き方を教えていただいたと思っている。

時々、取り組む曲を自ら弾いていただいた。あまり大きな音は出されないのだが、芯のとおったしっかりした味わい深い音色とひき方は、自分もあんなにできたらという思いを常に起こさせてくれる演奏だった。

またバッハの無伴奏を教えていただいた時には、数小節のフレーズに、十幾つかの注意点を言われ、演奏の奥深さということも教えていただいた先生である。

もう亡くなられてだいぶたつのだが、楽譜を見ながら、先生がおられたらどう答えてくれるかなと、今でも思う時がある。

不肖の弟子ではあるが、教わったことをこれからも、少しでも大事にしていきたいと思っている。

9 件のコメント:

  1. Cello法師様
    初めまして。
    田中制の娘でございます。父の事を綴ってくださり誠にありがとう存じます。もう13年も経ちますのに、このように思いを寄せてくださるとは、父も本当に幸せでございます。おっしゃるとおりの静かな性格の父は、私にたくさんの楽器に触れる機会と、まだ何も理解できない幼少の私にたくさんの巨匠の演奏を聴かせるためによく色々な会場へ呼んでくれました。細かい事は言われませんでしたが、言葉に出す前に深く考える事は教わったような気がいたします。子供の頃父は「勉強は難しくないんだ。理解する時間がかかるか、ちょっと早くわかるか、それだけの違いなんだよ。でも、最後はみんなわかるんだよ。わからない勉強なんかないんだよ。」と申しておりました。今私も50代になり、ものの理解の仕方について、父の言葉を繰り返しながら日々生きています。勉強も、仕事も、人の気持ちもすべてそうなんだと思う今日このごろです。
    橘曙覧像、本当によくにております。ありがとうございました。

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  2. 思いがけず、書き込みをいただきありがとうございます。
    田中先生には、20数年前に教えていただいたのですが、
    レッスン自体も楽しみでしたが、練習中や終わった後に、楽器や弦についていろいろお話しするのも楽しみでした。
    魂柱などもご自分で納得いくまで立て直しをされていたようで、一度、私の楽器をのぞかれて
    「魂柱が斜めになっているねえ」
    「ええ! 斜めですかあ?」などという会話をしていただいたのも懐かしい思い出です。

    私も、その当時の先生のお年に近づいてきましたが、教えていただいたことで得られた演奏の世界を楽しみながら、できるだけ続けていきたいと思っています。

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  3. 心暖まるお返事をいただき大変恐縮に存じます。あのようにゆっくり時間をかけてレッスンをしたり話したりする父を見て、せっかくお訪ねくださってる方々には時間がかかりすぎてさぞご迷惑だった事と今でも思います。
    小学生のころからバイオリンでアイネクライネナハトムジークを全部弾くことが出来るようになり、そこで弦楽器にのめり込み、最後は楽器と楽譜に埋もれて孤独に人生を終えましたが、本人にしてみれば、cello法師さまのように優しい方にめぐりあえてとても幸せだったのだと思います。私達家族と生活の事を気にしながら生きていくことは出来なかったのかもしれませんね。たくさんご迷惑をお掛けした事と思います。父になり代わりまして心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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  4. たまたま田中制の名前を拝見しこのブログを読まして頂き書き込みに参加させて頂きました。
    私が田中制先生にお会いしたのが確か昭和58年だと思いますから33年前です。
    当時チェロが弾きたくて知り合いの筋より尋ねた所片山津温泉で療養している元東京のオーケ
    ストラの団員の人がいらっしゃると云う事で福井のバイオリンの先生(当時娘が習っていた)の
    家に週一教えて貰いに武生より数年通いました(後にはノリキ楽器に場所を移しますが)。
    生徒さんは他にも医大の生徒さんとか数人いました。チェロを習う事よりも先生との音楽との
    雑談が大変楽しかった思い出があります。青木十郎先生のことも伺いました。上達しない私に
    根気よく穏やかに教えて下され、中々おちゃめな面もありましたね。娘さん(田中啓子さんだと
    思います)の結婚式での一緒に並んで撮った写真も見せて頂いた事もありました。
    片山津の田中先生の家に夜中長電話で世間話を長時間することも何回かあり又話付き合って頂
    いた事昨日の事のようです。人間的に大好きな先生でした。

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  5. 書き込みいただき、ありがとうございます。
    拝見しますと、田中先生にお習いした時期は私の方が遅いようですが、しばらく、かぶっていたのではないかとも拝察いたします。書き込みを読ませていただいていると、当時のことが思い出され、懐かしい気持ちがよみがえってきます。
    今は楽器をハードケースに入れるのが普通ですが、当時私はソフトケースに入れて持ち歩いていました。ところが確か先生もソフトケースで「このほうが軽いからね」とかおっしゃっていました。飄々としたところもある先生でしたね。私は結構飽き性なのですが、田中先生だったので、レッスンを続けることができたんだと思っています。
    まだまだ長生きしていただいて、ご指導を受けたかったなあとあらためて感じます。

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  6. 井上様、cello法師様、ありがとうございます。
    私が結婚したのが昭和58年でしたので、結婚式の写真は私のだと存じます。その年に娘が生まれまして、現在33歳です。片山津温泉には平成11年頃に父を訪ねて山代温泉に行った際に連れて行ってもらいました。そこで「すずめのお宿」という父の知り合いの方の宿に泊めていただき深夜まで、時間の隙間をうめるが如く話し込みました。 父は変わり者で表情はいつももったりしていましたが、とにかくチェロが好きで、音楽が大好きで、小学生の時からバイオリンを弾き東京でオーケストラの入団試験に合格して入団したと聞きました。師匠は青木十良先生であることも聞いておりました。青木先生は日本現役最高齢のチェリストとして、ご活躍されておられ、一度はコンサートに行きたいと思っていましたが叶わず、一昨年お亡くなりになりましたね。東京で家族と生活していた時は、桐朋学園付属の中学生や芸大生、TBSの社員の方、医大生の方々など様々な方が家に来て、お時間の許す限り父の独壇場会話とレッスンにお付き合いくださっていて、時には朝まで熱心にうちで語り明かすこともよくありました。父には「上達しない」という文字は頭の中にはなく、全員が同じ能力を持っていて、引き出す時間に問題があるだけだと言ってました。なので、自分が引き出すことができればと常に思って色々な人に伝えたいと言っていた事があります。行きつく先は最後はみんな同じなんだよ。出来るんだよ。と言ってました。
    家族の方がいつも、レッスンを受けに来てくださる方にとてもご迷惑だったのかないかと、ハラハラしていた記憶があります。病弱でしたので、TV収録(題名のない音楽会に出ていました)やコンサートで熱いライトを浴びながら何時間も演奏をすることはとても苦痛のようでした。時々白い燕尾服を着用するのですが何回か着ただけで白い燕尾服がベージュにライト焼けするんですね。ですので、福井の方で皆様に支えられながらチェロを弾けた事はとても幸せだったのではないかと思います。
    あまり強い事も言わず、人を否定せず、言葉は色々な視野で考えてから口に出すように、と教わりました。今は情報で迅速に動く時代でゆっくり物事の神髄を考える余地もなくワサワサと生活しいておりますので、そのような事を忘れがちですが、時々ふと思い出す事があります。一方方向しか見てない自分がぐるりと周囲を見回すようにと。
    チェロのソフトケース、確かにそうですね。なぜかハードケースを持ちませんでしたね。
    一度、自宅の駅に着いた時、疲れてめまいを起こつまずいたようで、チェロごと駅の階段から下まで転げ落ちた事がありまして、顔面血だらけでチェロはバキバキに壊れて帰宅したことがありますね。それでも終生ハードケースは使ってなかったようですね。頑固で、不器用な父親でしたが、色々と思い出しながら生きているという事は、何にも代えがたい財産で、このブログのように語り継いでくださる事にとても胸が熱くなります。本当にありがとうございます。

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    1. 田中啓子さんのお話を伺うにつけ田中制先生の姿が見るようです。
      お亡くなりになったのを耳にしてから何年経つでしょうか?
      かなりの月日が経っていますがもう少し田中制先生の思い出
      を書かせて貰います。
      レッスンの時以外にもお会いする機会も多く私達音楽仲間との会食
      にも何度かご一緒したこともあります。
      我が家の蔵でのレッスン時に聞いたベルベットのような滑らかな
      チェロの音は今でも忘れません。この時の音居合わせた友人共々
      大変感服しました。
      先生とは馬が合うというか特に音楽のハナシをしだすと止まらない
      感じでレッスンに通わなくなってからでも前に書きましが深夜12時、
      1時ころまで2時間を超えて長電話すること多々失礼かもしれませんが
      同年代の若者みたいな子供みたいに純粋なところがありましたね。
      武生文化センターで開催した私達のミニ音楽会にも2回出演して戴き
      ました(私も細やかながら司会進行をさせて貰いました)。
      1回目のコンサートは先生とプログラムを何にしょうかと相談され
      バッハ「無伴奏NO.1」「アベ・マリア」「白鳥」などをお願いした
      ように記憶しています。
      3度目の鯖江眼鏡会館でのコンサートでは持病の激しい頭痛(三叉神経痛)
      でキャンセルしこちらも慌てたこともありましたね。
      34年位前ですからあのとき先生は45歳くらいでしたか?
      この文を書いていると当時の事が昨日のように思い出され
      本当に懐かしです。

      (出演されたビデオ(VHS)や写真もあったのですが不明もう一度みて見たい
      ので今探しています)。

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    2. 井上様
      長い間、返信をせず大変申し訳ございませんでした。私の知らなかった父の北陸での事を知る事ができ、大変うれしく存じます。あのような父に、生前根気強くお付き合いくださいましたこと、心より感謝申し上げます。元々の性格なのか、音楽家はそうなのかよくわからないのですが、非常に神経質であった父は、頭痛発作をよく起こしており辛そうでした。そういう面では色々な方にご迷惑をおかけしてしまってたと思います。本当に申し訳ありませんでした。東京でもそういう事は度々あったようで、本番が近いのに到着しいないという電話が何度かきていて、母が慌てていた様子を覚えています。途中で具合が悪くなっていたりしたようでした。専門的な治療もかなりしていたようですが、効果はなく、東京を離れて北陸で生活出来た事は、とてもリラックスできてよかったのではないかと思っております。父の部屋を片付けに行った時は、クラッシックのみならず、エンヤの曲を譜面に興して練習していたり、コマの形成の方法についてやチェロ本体との位置関係で如何に最適最良な音がでるかなど、何やら難しい計算式を書いたノートが数冊出てきました。当初は何か冊子にでもして自宅の記念用にようかと、思っていましたが、そのままになっています。また、話好きの父は井上様にお電話をいただきました事をきっととても嬉しく、電話を切りたくなかったと想像します。私が最後に山代温泉で会った時には、X-JapanのToshiさんと金沢の演奏会を通じてお話しする機会があり、当時のToshiさんの苦悩の話を聞いていたと申しておりました。TVと違って、とても礼儀正しい好青年だった。という一言が印象に残っています。色々な出会いがあった事に、今更ながら感謝いたしております。こうして思い出を書き込むことができるなど、夢の夢にすぎないと思っておりましたが、思い出す事で一生心の中では生きているものなのですね。ありがとうございます。もし機会がありましたら私もビデオ、写真など拝見させていただきたいと、少し気持ちが膨らんでおりますが、心の中の楽しみとして温存しておこうと思います。長々と書いてしまい申し訳ありません。冬の到来も間近になりましたので、ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

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  7. お久しぶりです。お元気に過ごしておられてたでしょうか。
    私の方は、腰を痛め(脚立から落ちたので自業自得ですが)、交響楽団もしばらくお休みです。今年の定演はマーラー五番だったので、口では「この曲はアダージェットだけやればいいんじゃないの」などと言っていましたが、結構、真剣に練習していたので残念な1年となりました。
    そういえば、田中先生と健康談義をしていた時に、先生が「チェロって体を丸めて弾くので、健康的とは言えないかなあ」と言われ確か「テニスなんかするといいんだよ」とおっしゃっていたように記憶しています。
    アマオケで弾いていると、難しいところは、ごまかして弾く癖がついてしまうのですが、もう一度教えていただいた基礎を見直し、1つ1つのフレーズをしっかりとかつ美しく弾いていけたらと思っています。

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