2013年1月26日土曜日

ボクシングに想う

   ボクシングは、攻撃を手に限定し、成り立っているスポーツである。顔面とボディへの攻撃が主となるため、特にボディは鍛え上げ、少々の攻撃を受けても耐えられるようする。腹を打たれダウンするのは、明らかに素人でしかない(まあそれでもタイミングが合うと倒れてしまうが)。顔面は鍛えようがないので、様々な防御方法が発達することとなる。そのような様々な防御とパンチを組み合わせ、ボクシングは成り立っている。四回戦ボーイなら、ただのはったりと勢いで倒すことも出来る。しかしチャンピオンになるには、地味な日々のトレーニングの積み重ね、そして相手を分析し攻防を組み立てる冷静な目、そして根性がなければ、勝利を得ることはない。ボクシングはいわば獣性と科学の融合なのである。おもしろさもそこにある。

   これらの要素を一人の人間が備えていることは少ないので、よきトレーナーの存在が必修となる。

顔面への攻撃 練習の難しさ

 今のK1等を見ていても、KOのほとんどは顔面へのパンチである。顔面への攻撃は、直接脳を揺らすので、立っていられなくなる有効な技であり、格闘技の場合、どうしても練習する必要がある項目である。しかし、練習の仕方が難しい。各種目別の練習方法は次のようである。

伝統空手
  顔面のパンチに関しては直接当てないで、直前で止めるようにする。いわゆる寸止めである。これに関しては、普段寸止めで練習していて、いざという時に、浸透力のあるパンチを当てることが出来るのかという批判がある。また案外、止められなくて顔面骨折や眼球を損傷して視力をなくすなどの大きな事故が多いのも事実である。

極真空手
   顔面パンチそのものを禁止する。これにともなう弊害は以前記述した通りである

防具空手
   伝統空手や極真空手系の一部は、どうしてもあてないとわからないことがあるということで、頭部に防具をかぶって、実際当てるようにしている。この欠点は、衝撃を完全には吸収できないので、顔面そのものに傷がつくことは少ないが、頸椎や脳そのものに障害が残る可能性があることと、防具そのものが息苦しいことであろう。決して、安全ではないのである。

少林寺拳法 
   昭和50年ごろまでは、グローブと胴を着用して、顔面も含めがんがん殴り合うというもの。今の少林寺拳法には見られない野蛮さである。当然、脳への衝撃が大きいので、死者が出たのは前述したが、後遺症が残ることも多く見られたようである。また胴に蹴りをもらうとバーンと大きな音がして、一本としてとられてしまうので、胴をカバーしながら(顔面ではない!) 前に出るということになる。これは格闘技としては、あり得ないフォームである。