諏訪湖 いつもここで一服 |
先日は、東京まで行ってきた。
走行距離は往復1080㎞で、高速中心なので、満タン法だが15㎞/㍑ぐらい走っている。
特に不満は無いのだが、走っていておもしろい車でもない。
この車は、FF方式で、これだけ車重のある車は、どう走らせたらよいのかというコンセンサスができないまま市場に出してしまったような感じがする。どういう車を作るかという根本というか方向性に迷いが見られる。
ただVW社もそこはわかっていたようで、最近のゴルフの走りはなかなかおもしろいらしい。
ドイツ車と日本車の違いは、いろいろ議論があり、優劣論も盛んなようだが、自動車は生産国での使われ方と民族性を色濃く反映しやすい工業製品なので、優劣を論じても仕方ないと思っている。
ドイツの車は、ゴルフの普通のグレードでも時速150~180㎞、GTIなら200㎞近くで何時間か飛ばすことがあるので、そこでフラフラするようではどうしようもない。そして、そこから事故っても生還することが求められる。
また時には屋根に100kgぐらいの荷物をくくりつけて移動するので(と昔、徳大寺さんが書いてたような・・)、屋根を支える部分は頑丈に作る。
また民族性としても、機械類のスイッチ類は重々しく作る傾向がある。カメラなどでもシャッターは重く作る。たぶんそうしないと、シャッターを切った感じがしないのであろう。「外国向けの製品をつくる場合、日本人の技術者が心得ておくべき点である」と言ったのは佐貫さんだったと思うが、自動車もドアやハンドル等は一定の重さを感じる設計となっている。
これは安全性というより民族性からくるものだろう。
反対に、日本人の車の使い方は、比較的短距離を何回も走り、高速はせいぜい120㎞で巡航できればよいので、それに適した車ができてくるだけのことだと思っている。
たぶん、日独での技術的な優劣は、ほとんど無いと感じている。
ネットを見ていると、日独の車の違いについて、次のようなものがあった。
「ドイツ車は、車体等交換できない部分には十分お金をかけてしっかりとしたものを作るが、交換できる部分は消耗品と割り切り、だめになったら交換すればよいと考えている。
そのため、消耗品の劣化は日本車と比べると速いのだが、消耗部品を交換すれば新車の状態に戻して、長く走ることができる」
「日本車は、そこの見極めがはっきりしておらず、時間がたつと車体も含め全体がやれてきて、部品を交換しても元に戻らず、結局、手放すようになる。ただゴム等消耗品も、やれてきても、ある一定の品質は保つので、なんとか長く使うこともできる。ここらへんが世界で日本車が売れる要因ともなっているのだろう」
というものであるが、納得できるような、できないような。
ドイツ車は長く使えるというのは定説ですが、消耗品とかの部品には、目の玉が飛び出るような金額のものが、存在します。長く乗るには、ドイツ車は、お金がかかりすぎるというのが実感です。
日本車の方が、特に軽自動車などは部品代も安く、長く乗っている人も多いですよね。うちの近所には初代のワゴンRが二台ほどあり、よくお婆さんに雑巾で、フキフキしてもらっていますよ。いまだ綺麗なもんです。
結局、最初に書いたように、自動車に関しては、使い方の違う車を比較してもあまり意味がないように思います。
よく第二次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンで零戦があれば、ドイツは勝てたとか、語られる時があります。
まあ酒場での与太話に近いもので、楽しんでいればよい話ですが、そもそも艦上戦闘機と陸上戦闘機を比較しても、意味ないですよね。
また、仮に同じ陸上戦闘機の「隼」の設計図を当時のドイツ人にみせても、目を通して「全体に、脆弱な戦闘機だ」と言って、机の片隅にしまわれるのが落ちでしょう。後で増槽の取り付け部分あたりを見るかも知れませんが・・・。
反対に、ME109を中国大陸の基地に配備したら、下士官がカンカンになって「こんな足の短い戦闘機をどう使えと言うんだ」と乗り込んでくるでしょう。
使用状況の違う戦闘機を比較しても意味が無いように、自動車は、戦闘機のように使用する状況が全く違うわけではないですが、日欧米ではやはり違いがでてきますし、それは優劣ではないですよね。
ただ、日本の技術をあまりに持ち上げる、最近の風潮もどうかと思います。欧米人の技術に対する姿勢は、生半可な物ではないです。やたらに技術(科学、芸術、運動などでもですが)に、凝る濃い人たちです。
欧米人はいまだに「凄い物」を生み出す民族ですよ。
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