2013年6月30日日曜日

チェロの音 ウォルフキラー

私の楽器は、1代目も2代目もウォルフ音がでる。

G線のFisで(厳密に言うとFとFisの間)で発生するが、楽器がよく鳴る時期は、D線でも出る。D線で発生すると演奏に支障が出る。
これを押さえるには、弦やテールピース、エンドピンを変えるという手段があるらしいが、あまり効果がない。手っ取り早いのは、例のウォルフキラーである。

今は、いろいろな形状のウォルフキラーがあるようだが、以前は、筒状のゴムを弦に装着し、それを真鍮でできたもので固定するものが一般的だった。

ウォルフキラーの欠点は、装着することによって楽器全体の鳴りもおさえられてしまうことにある。原理的には、F音あたりだけを押さえられるはずだという主張もあるのだが、これは実際弾いてみるとすぐにわかる。特にA線の艶やかさが失われる。

2013年6月26日水曜日

呼と吸  日本と欧米の違い


呼吸をするということは、生きるという意味と同じである。


欧米人は、人間は、神が泥をこね、最後に魂を吹き込んでつくったと考える。そのため人間は、生まれた瞬間に息を吸って、生命活動を始めることとなる。死ぬ時には、「最後の息を神に返した」という表現があるように、息を吐いて終わることになる。

欧米人にとっては、生まれた瞬間に、まず息を吸い、そして吐いて、吸って、吐いて、吸って・・・最後に息を吐いて、死んでいくのである。呼吸という言葉があるが、彼らにとっては正確に言うと「吸呼」が、1つのセットということになる。

2013年6月25日火曜日

アマオケ休団の記

あまりに体調がすぐれないので、一応、昨年の10月から今年の3月まで休団することにしたが、もうすぐ7月になってしまう。半年間と思ったのだが、9ヶ月たってしまった。昨年9月にその旨、メールを打ったら、休団処置というのは現在ないので、いきなり退団になってしまった。特に届を出す必要もなく、メール連絡でいいということ。このまま行かなければ、だれにも知られないまま消えていくこととなる。

何かを期待したわけでもないが、一応20年以上やってきたこととの終わりとしては、あっけないものである。

2013年6月20日木曜日

弦楽器と気候  ヨーロッパは乾燥している?


一般的に、ヨーロッパの気候は、乾燥しており、楽器も鳴りやすいが、日本へ持って帰ると湿気が多いので鳴らなくなると言われる。昔習った地理でも、地中海性気候とか西岸海洋性気候との違いはあるが、どちらも年間降水量は1000mmに満たず、確かにヨーロッパは雨が少なかった記憶がある。

一方、私の住む北陸は、楽器の環境としては最悪なんだろうなと漠然と思っていた。
「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるように、一年中湿度が大変高いのである。

ところが最近、「イタリアのクレモナは霧が出ることが多く湿度は高い」という一文を見つけた。そういえば、「モーツアルト」という映画があった(テレビ放送での日本語吹き替えが絶妙だった)が、その中のウィーンは雪が降っており、大変寒そうであった。雪が降るとすれば湿度は高いはずである。


結局、本当のところはどうなのであろう。
調べようとしたのだが、案外、都市ごとの月別の平均気温、降水量、湿度が記載されている資料がない。以下、あちこちからひっぱってきたものを載せておきます。


2013年6月19日水曜日

第二次世界大戦 太平洋戦線におけるアメリカの戦死者数

第二次世界大戦において日本は、圧倒的なアメリカの戦力の前に敗れ去ったという解釈が一般的である。結果的にその通りだったと思う。
あの戦争を検証しても、局地的には勝てる場面は考えられても、大局的にはどうやっても勝てない。犠牲者数も圧倒的に差がある。

しかし、言われているように「アメリカにとって、太平洋戦線は(ヨーロッパ戦線に比べ)、楽な戦い」だったのだろうかという疑問が生じ、アメリカの太平洋戦線での死傷者数を調べようとしたのだが、これがよくわからない。
幸いなことにネットを見ていたら同じ疑問をもった方がおられ、様々な検証の上、(1) のような数字をあげておられた。

世界の宗教 入門編  仏教 その1


開祖:ゴータマ・シッタルダ 釈迦族の王の息子

(1) 教義の概要

インドにはこの当時から(今もだが)、人間は死ねば、それで終わりではなく、生まれ変わるという考えがある。この場合、何に生まれ変わるのかは、生きていた時のおこないで決まるので、人間だった者が、悪いことをしていれば、次は犬になり、犬の時に悪いことをすれば、次は亀になり、亀で悪いことをすれば(亀の悪い行為とはなんだ?)、次は虫になるという具合である。良いことをすれば、次々と上にあがれるわけだが、人間で良いことをしていれば、次は例の「カースト」を次々とランクアップできることとなる。これを未来永劫繰り返すことを「輪廻転生」と呼ぶ。

※こういう考えが根底にあると、既存の社会制度を打ち壊し新たなものをたてるという態度が生まれにくい。生まれたカーストとしての仕事を全うすることが大切で、そのことを行えば、次は上級カーストに生まれると考え、行動することが自然になるからである。ここらへんのことがカースト制が戦後、廃止が宣言されても、現在もなくならない理由となっている。

2013年6月13日木曜日

人生90年として 30年は寝てるんだね

人生90年として、人間は何をしているのか計算してみた。
            
  睡眠    8 時間 とすると→ 30年
  仕事    10.5時間     → 40年
  通勤    0.5時間(30分)  → 1.8年
  食事   0.75時間(45分)  → 2.8年
  トイレ 0.25時間(15分)   → 342日
  洗面洗顔  0.05時間(3分) → 68日
  風呂 0.3時間(20分)     → 1.1年
  自由時間 3 時間      → 11年

となった。まあこれは、土日の過ごし方とか、定年後のことなどは考えていない、おおざっぱなものなのだが、それにしても人生のうち約30年は寝ているのですね。また90年のうち1年は風呂に入っているとは思わなかった。

人の一生は、寝て起きて、仕事をして、残りの時間は食事や歯磨き、トイレなど必要なことをやり、残った時間を自由に少し楽しむということですね。

日本の英語教育を考える 小学校英語教育の愚

基本的に、日本人は英語が話せない、もしくは苦手な民族だと言われている。実際、高校卒業までに、6年間の英語教育を受けてきたはずだが、たぶんその半分ぐらいは、外国人に話しかけられてもyesとnoしか言えないのではないかと思う。


そのため、英語教育にこだわりを持つ人は、早期教育を提唱する。その努力もあって、小学校5、6年に英語が取り入れられ、さらに4年生からという声も出ている。

しかし、日本人が英語ができない理由は、英語教育の問題ではない。そのため早期教育は日本においては効果は上がらないだろう。

日本人が英語が出来ない理由は、簡単に言うと

 「必要がないから」  である。

2013年6月12日水曜日

日本と欧米の子育て文化 褒めると叱る

2001年記述


文部省から家庭教育ノートという小冊子が出された。

その中の日本と外国の意識調査を見ると,自分の子供の成長に満足していると答えた親は,日本では約40%前後であるのに比べ,アメリカやイギリスの親は,約83%前後になっている。また子供に対しての質問では,自分は「正直な子」「親切な子」「よく働く子」と思う子供は,ミルウォーキーで約60%,オークランドで50%,北京で40%あるのに比べて,日本では約10%前後しかないという結果であった。

一般に欧米諸国の人々は,自己に対する評価が高く,アジアの中でも特に日本は自己評価が低いということが言えよう。文部省は,この結果を子供の個性が大切にされていない結果であり,駄目なところを責めるより,良いところを増やしていくことが大切であると分析している。ようするに叱るよりほめて育てよということである。

しかし,日本の子供たちは欧米の子供たちより,不正直で不まじめで,親の期待にも添えない子供ばかりなのであろうか。少年の犯罪率から見れば,明らかに日本の子供たちの方が,犯罪を犯さないことは事実であり,また小中学校の大部分の児童生徒は、学習や清掃活動に真面目に取り組んでいる。そして欧米の子供の実態と,8割の親が満足しているという親たちの評価は明らかに一致していない。これはどう考えたらよいのだろう。

2013年6月7日金曜日

科学という学問①  社会科学の曖昧さ

大学時代に、社会科学系の講義を受けていて「これは、学問という名にあたいするものなのか」とかなり真剣に悩んだことがある。自然科学の持つ厳密さに比べ、経済学や社会学のなんと曖昧なことか。同じ統計資料を使いながらも、真反対の結論を導き出せるものを学問と呼べるのだろうかと思ったのである。

古代ギリシャ人は「真に学問といえるのは、神学 哲学 数学しかない」と言っているが確かにその通りなのだろう。

実は、社会科学系の学問が導き出せることは、「正解」ではない。もちろん「結論」でもない。AはBより、より良い可能性が高いという「見解」が出てくるだけである。そのため別の視点から見るとBの方がよいという見解がすぐに出されることとなる。

その曖昧さに耐え、さらに情報を精査し、見解の精度を高めていく作業そのものの中に社会科学系の本質があり、また存在意義がある

・・・と理解はしているのだが、昨今の「アベノミクス」や「消費税」の是非について、識者が口角泡を飛ばして議論しているのを見ると、いったい大学で何十年も研究してきたのはなんだったのだ、消費税を上げた方がよいのか、上げない方がよいのかぐらいは、結論を出せよと皮肉を言いたくなる。

経済評論家とか大学の教授という連中が、TVで、経済情勢について分析してみせたことが、何年か後に間違っていたことわかっても、平然と、次の問題について解説をしているのを見ると、人間的な薄っぺらさというか自分の職業に対する倫理観のなさを感じることがある。

社会科学系の学問が持つ本質的な曖昧さにあぐらをかき、自分の言動に責任をとるという世界に生きていないのである。

先ほど書いたように、曖昧さに耐えながらも、さらに情報を精査し、見解の精度を高めていく作業を常に行い、本質に迫るという真摯な態度と、自分の出した見解に誠実さのない人は、学者の名には値しない。

クレモナの新作は画一的か?

以前、ある掲示板を読んでいたら、次のような意見があった。

「Cremonaの新作は、どれもこれも同じように見えるのは、僕だけでしょうか?工場製E.H.RothのばらつきよりCremona新作の方がばらつきが小さい様な気がします。Cremonaのヴァイオリン製作学校の出身者達は、大きな工場の技術者達の様な感じがします。」


たぶんクレモナの手工品は、画一的であると言いたいのだろうと思うが、基本的に工場の製品と手工品を比べていることと、クレモナの楽器についての認識の2点で、間違いがあると思う。
 

まず「工場製E.H.RothのばらつきよりCremona新作の方がばらつきが小さい様な気がします。」と言う意見だが、工場の量産品は、値段によって、使っている材料、ニス、機械で作る部分と手で作る部分が全く変わってくるので、最下層品と最上品では音色、外観とも全く違うのは当たり前である。そういうものと比べ、Cremona新作の方がばらつきが小さいのは、当然である。

またクレモナの楽器製作者は、同じ学校を出ていることは事実である。しかし一時期(ちょっと昔だが)、新しい楽器を探して、イタリアの新作を結構試し弾きをしていた時の経験で言うと、同じ程度の金額のクレモナの新作といっても、けっこうばらつきが大きく、音色もそれぞれ個性的だと感じた。ある一定以上のレベルを確保しているという意味では、ばらつきが小さいと言えるかも知れないが、製作者によって音色、音量、外見は様々だった。

2013年6月2日日曜日

クレモナの名器 虚構と真実① ブラインドテストの結果に想う

テレビ番組で、ストラディなどの億単位の名器と十万円台の普及品のヴァイオリンを二つを弾き比べ、当てるというものがある。番組自体は、脚本通りの展開ではあるのだが、そこも含めて、おもしろおかしく見させてもらっている。また確かに普及品とストラディでは、音色に違いがあることがわかる。

しかし、現在の一流と言われる製作者の楽器と昔の名器では、どれくらいの違いがあるのだろう。

だいぶ以前に、テレビ(確かNHK)で、いろいろなヴァイオリンを観客には演奏している姿が見えないようにして、よいと思う順番をつける(か、ストラディをあてるだったか)という番組があった。弾く楽器は、ストラディ+四つぐらいの楽器で、ストラディ以外の楽器は、19世紀から現代の製作者による新作で、楽器としてはよいものである。

こういう試みは日本だけでなく、外国でもよくおこなわれるようだが、結果はいずれの場合でも、決してストラディは上位には評価されない。NHKの場合は三番目ぐらいだったと思う。これは一般の人だけでなく、専門家に聞かせても結果は似たり寄ったりのようである。ストラディの代わりに、同時代のクレモナの名器を持ってきても同じである。
よくクレモナの古い有名な楽器につけられる「特有のシルバートーン」だの「ビロードのような」だの「倍音の多い深い音」だの「遠鳴りのする」だのという言葉は何だという結果である。

これはどう考えればよいのだろう。