2014年5月9日金曜日

日本の戦後補償について ② Q&A

以下も、資料として掲載しておく。

(1) 日本の戦後補償
先生が、日本は戦後補償をきちんと行なっていないように言っていましたが、新聞ではもう賠償は済んでいると書いてありました。本当はどうなのですか。


こういう質問、絶対あるはずだと思っていました。教科書を見ても、とても賠償が終わったようには書いてありませんからね。まさに“教科書が教えない戦後賠償”についてお答えしましょう。
 昭和20(1945)年、敗戦国となった日本は7年間の占領期間を経た後の昭和26年に、サンフランシスコ条約を結んで連合55国ヶ国中48ヶ国と講和をしました。この条約とそれに続く個別の国との協定で、戦争で日本が与えた損害に対して賠償を行なうことを約束し、ここから戦後処理が始まったのです。
 例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円にのぼります。これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
 それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円に達しています。
 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。ちなみに昭和30年のスチュワーデスの初任給は7000円でした。
 さて最近、韓国から個々人に補償を要求する動きが新聞やテレビで報じられていますが、これについても一言ふれておきましょう。
 昭和40(1965)年、日本と韓国は日韓基本条約を結び、日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払いました。そこで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて「両国民の間の請求権に関する問題が 完全かつ最終的に解決された」としたのです。民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で死亡したものの遺族への補償に使いましたが、大部分を道路やダム・工場の建設など国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げました。韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、全国民が豊かになることを選び、それが成功したのです。そして韓国のとったこの行動は韓国自身が決めたことですから、出した日本がその使い道にあれこれ言うことはできません。(外交交渉の中で、日本はなるべく個人への補償をおこないたい旨を韓国に伝えているが、それに対して韓国政府は、お金はすべて韓国政府に渡して欲しい。またそれをどう使うかは韓国政府の判断に任せて欲しい。というのが答えであった。

  ですから現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らなければなりませんし、私たち日本人も貧しかった中で、一生懸命働いて賠償要求に応じてきたという事実を知っておかなければなりません。こういうたった30年ほど前の努力を知らない若い世代ほど、“日本は金持ちになったのだから出し渋らず払えばイイ”などと無責任な発言をするのです。一方、30~40年前に膨大な償いを課せられた60歳以上の人々は、これに反対するのは当然のことなのです。


(2) 戦後補償と個人補償の問題
主張1
 ここ数年、第二次世界大戦時に、日本政府・軍が、強制的・半強制的に戦争行為に、巻きこむことによって死亡した人の遺族、また著しい損害を被った人々や、その遺族から損害や不払いに終わった賃金、軍票等の補償を求める動きが高まってきた。これらの人々は、日本軍に徴用されて戦犯とされた人、強制連行されて労働に従事した韓国・朝鮮人や中国人、インドネシア人、在日韓国・朝鮮人の傷痍軍人・軍属、朝鮮半島から連行されて、広島で原爆の被害を受けた被爆者、同じくサハリンに残留を余儀なくされた韓国・朝鮮人、そして軍が徴用した従軍慰安婦であり、従軍慰安婦には韓国・朝鮮人のほかに中国、台湾、フィリピン、オランダ人等をも含むことが明らかになっている。
 これらのそれぞれケースの異なる被害者たちは、個人で、あるいは集団で、補償や未払い賃金の支払いを要求して、日本政府や労働者を雇用した企業に対して訴訟を起こしている。
 日本政府は、これに対して国家間の平和条約や賠償協定によって「補償問題は法的に決着済」との立場をとっている。戦争とは、国家間の問題であって、個人の利害は、国家によって代表されるとする立場である。しかし、日本と同じく全体主義による侵略を、近隣諸国に対して引き起こしたドイツは、ユダヤ人やナチスの迫害を受けた人々に、連邦補償等で補償を行っているほか、空襲を受けた被害者にも補償を行い、明白に個人を対象としている。……以上のような内容のことが平成4年(1992年)頃、日本のマスコミに急浮上し、なかでも従軍慰安婦問題とドイツの個人補償というまったく別個の二つの概念が、大きく取り上げられるようになった。
 ここで問題になるのは、「個人補償」という言葉に関する感傷的誤解である。
ドイツは国家賠償を済ませた後で、それでは足りないからより手厚い、心のこもった人道的措置として、「個人補償」をさらに重ねているという、前提ですべてが語られ、そのためドイツの償いの仕方が礼讃されている。とすると日本はまだ本当の補償をしていないのではないか、という不安と劣等感に襲われてしまう。近代戦争史では敗戦国が、戦勝国に「国家賠償」を支払うのが普通であり、戦勝国の被害者ひとりひとりに、個別に「国家賠償」をしたことはなく、まずここに大きな事実誤認がある。
 ところで、ドイツはまだ国家賠償をしていない。これは東西分割国家であったからであるが、さらに、旧交戦国のどの国とも、講和条約を結んでいない。よく考えれば驚くべき事実である。
 ドイツの巨額補償は、賠償ではなくナチ犯罪に対する「政治上の責任」の遂行である。したがって、どこまでも「個人」の次元で処理されるべきものであり、「集団の罪」を認めない歴代ドイツ政府の立場は、ここでこそ貫かなければならない。ナチ犯罪に、ドイツ国家は、「道徳上の責任」を決して負わないし、あくまでも個人の犯罪の集積であって、償いは、どこまでも「個人」に対してなされるべきである。ただし、ドイツ国家が「政治上の責任」を果たすために、財政負担をするという理屈ではある。
 個人補償は、そのような背景から出てきた例外措置で日本人が感傷的に誤解したような、より手厚い心のこもった、人道的措置ではない。戦後処理に個人補償など考えられないことであり、ドイツのこの例が、おそらく歴史上最初であり最後であろう。
 サンフランシスコ講和条約では、対日無償賠償政策をとるアメリカの強い圧力で、連合国のほとんどが、賠償請求権を放棄し、日本政府が、講和条約の規定に基づいて、賠償支払いの要求に応じたのは、フィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナムの4カ国だけとなった。日本は、とどこおりなく、すべてを処理した。但し、韓国とは、戦争をしていないから、賠償も支払っていない。ただ日韓基本条約締結時に、3億ドルの無償供与と、2億ドルの低利貸付の協定を結んだ。今なら安いが当時の5億ドルは当時、日本国家予算(一般会計)の20分の1である。
 他方中国は賠償を放棄した。しかし我が国は国交回復以来、中国には莫大な「経済援助」をつづけ、その金額のなかには、謝罪と償いの意志が含まれているのである。経済援助と呼ぶのは、サンフランシスコ講和条約で、戦勝国が、賠償を放棄した為「賠償金」と言う呼び方ができず、「経済援助」と呼ぶだけで、実質的には、戦後補償の意味が込められていることは言うまでもない。しかし中国政府は国民に、この情報を伏せているらしい。中国国民は賠償を放棄し、日本に恩義を与えた、という事実だけを知らされ、日本からの積年にわたる巨額援助については、なにひとつ知らされていないという。しかし一方では日本の財産であった、南満州鉄道、撫順炭坑、大連港、重化学工業、鉱山などの施設を、没収している。このことを黙許するのは、日本の外交上の失点である。
 以上のように、日本とドイツは、償いの方式が違うのであり、日本は、国に対する賠償を基本とし、一方ドイツは、被害者個人への「補償」を柱にしているのである。
 日本政府は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と台湾を除き「国家間の賠償と財産請求権の問題は解決済み」としている。
 慰安婦問題は、平成5年8月当時の河野洋平官房長官が発表した、慰安婦関係の調査結果に関する談話というのが元凶になった。慰安婦の強制連行を示す証拠のないままに、謝罪と反省を表明してしまったのである。その後、それが韓国政府との政治的妥協に過ぎなかったことが明らかにされても、河野談話は、撤回されないままに終わっている。証拠のない自虐の産物が、日本から発信され独り歩きし、それが、日本への謝罪・賠償請求となって返ってくる。このように、「日本には、どんな理不尽な要求を突き付けてもいいんだ」という空気を、このまま放置していては大変なことになる。
 日本人として注意すべきことは、戦争犯罪には時効がないこと、またそれについては、事後法で裁かれることが、国際法上認められていること、この二つを、きちんと認識しておくことである。戦争犯罪は、不遡及の原則の範囲外とされているのである。
 謝罪することは前提の事実関係を認めることであり、損害賠償と原状回復を求められるのは、当然になってしまう。要するに謝罪は、国際法上の不法行為責任を、国家が認めたということ、と同義になるのである。
 戦後補償に関して、日本政府は「決着済み」とはっきり言うべきであり、そもそも特命全権大使が、南京事件で事実関係を認めてしまったり、内閣官房長官が、安易な謝罪表明をするような謝罪外交は、自分で自分の首を絞めるということを、是非我が国政府は、肝に銘じるべきである。

主張2
 最近、私の通っている文書館に私の友人のジャーナリストがやってきてました。どうやらこれも、また私の友人の文書館職員と待ち合わせがあったようです。2人の友人が来たのですから、こちらも仕事を中断して、自動販売機でココアを買って彼らの話し合いに同席することにしました。
 話の内容は、ドイツ人がかつて(ナチス時代)ドイツ領であった地域に所有していた資産の個人賠償の問題です。ドイツは原則として個人賠償という原則を採用していることは、よく知られていることですが、このことは裏返せば、ドイツ人にも個人賠償の原則が適用できるということです。つまり、かつてドイツが侵略した地域ならびにドイツが失った領土に存在していたドイツ人の資産に対しても個人賠償が適用されるということです。
 実際、ドイツの賠償政策で日本であまり語られないことなのですが、最も重要なのは、このドイツ人への個人賠償という問題なのです(ここで数字が挙げられないのが残念ですが、実はドイツの戦後賠償の大部分はこのドイツ人に対する個人賠償に費やされているのです)。ポーランド側がドイツ側から個人賠償を受け取るということは、平和条約で賠償問題が解決されていない結果、逆もまたなりたたなければなりません。つまりドイツ人が現在のポーランド領で喪失した資産は、その喪失した個人に対してなされなければなりません。
 この喪った領土に第2次大戦敗戦まで居住していたドイツ人たちの一部は、戦後、故郷を追われて居住することになった西ドイツで、「被追放者同盟」Verband der Vertriebenenという圧力団体を組織し、西ドイツに対してポーランドやロシアなどと東ドイツとの新国境を認めないように、長い間圧力をかけてきました。例えば、統一ドイツとポーランドとの間の国境確定条約(たしか90年)が締結されるまで、ドイツの国営テレビARDやZDFの天気予報では、長い間、すでにポーランド領になっていたシロンスク(シュレジェン)地方や東ポモージェ(後ポンメルン)地方などの天気予報をずっと行っていました。これは、西ドイツがポーランドによる「ドイツ東部地方」の併合を認めないという姿勢を明らかにするためにずっと行われてきたのであり、その背後にはこの「被追放者同盟」があったわけです。
 こういった西ドイツでの領土回復運動を行いつつ、彼らはまた、ドイツ政府に対して賠償を求めてきました。もちろん個人賠償です。その結果、西ドイツ政府は、彼らに対して、喪失した領土に彼が所有していた資産に応じて賠償を支払うことになりました。つまり、ポーランドが強制的に敵産(敵性資産)として接収したドイツ人の資産の賠償を、ドイツ政府が肩代わりしたということです。
 また、同様の問題はユダヤ人に対しても存在します。つまり、戦前・戦中に現在ポーランド領となっている地域に資産を所有していたユダヤ人は、個人賠償という原則に応じて、ポーランド政府に対して、その資産の返却を請求できるのです。そして、この個人賠償という原則は、ドイツが戦後分断されたという特殊な事情によって適用されているにもかかわらず、現在、おもにアメリカに居住しているユダヤ人たちは、ポーランド政府に対して、かつてポーランドで所有していて(その後ナチスによって接収され)、さらにそのあとポーランドから移住した際に(半)強制的に放棄されられた資産の返却を求めており、その一部は現に返却され始めています。
 さて、私の友人のジャーナリストが文書館にやってきたのは、西ドイツに居住しているあるドイツ人がポーランドで起こした裁判に関する資料を集めるためでした。つまり現在ポーランドに属している地域で所有していた資産を返却するようポーランド政府に対してポーランドで裁判を起こしたドイツ人について問い合わせにきたのです。このドイツ人は、ナチスによるポーランド侵略の際に、ドイツ系であることをナチス政府に申告し、ドイツ系として特別な取り扱いを求めることを要求し(具体的にはドイツ系住民のリストである民族リストVolkslisteに掲載されるように求め)、その結果、ナチスによるポーランド侵略の期間中、ドイツ人として特権を享受していました。その後、ドイツの敗戦と共に(ここでは日本人の満州からの引き上げの時と同様の悲劇があったことを忘れてはならない)、西ドイツへと移住し、その後すでに述べたように西ドイツ政府から賠償を受け取っていました。その後、ドイツ統一、それからポーランドとの国境確定条約を受けて、今度はポーランド政府に対して戦前・戦中の資産の返却を求めてきたのです。
 このとき、我々は、西ドイツ政府からいったん賠償を受けておきながら、さらにポーランド政府に対して賠償を請求するのは二重取りではないかとこのドイツ人の態度を非難し、それで話は終わったのですが、個人賠償ということがドイツの「原則」となっているために、他の例においては、実際、ユダヤ人に対してのみならず、実際にドイツ人への資産の返却が現に行われ始めています。
 ところで、日本の「民主的な」方々は、ドイツの個人賠償を礼賛しています。ドイツは個人賠償を原則としているから、それを見習うべきだということを主張するのは、実は日本政府のみならず、韓国政府にとっても実は不利なことなのです。つまり、戦前「京城」(ソウル)や釜山に資産を所有していた日本人が、「韓国政府が、個人賠償を原則とすると主張するのであれば、俺たちにも韓国政府が個人賠償してくれ」と主張できることにもなってしまうのです。そしてドイツ=ポーランド関係を模倣するのがすばらしいというのであれば、このことを日本の民族主義者の側も主張できるのです。つまり、かつてソウルで資産を持っていた日本人(日本企業)を見つけてきて、彼にソウルで裁判を起こさせることもできるのです。そうすれば、韓国の裁判所は、日韓基本条約で永久に日韓両国民の請求権は解決されるという文言について、自分の立場を明らかにしなければならないことになります(慰安婦の問題についていらいらしている方はぜひやってみてください。永久に個人請求はできないという判例を下してくれるはずです)。
 このことについては、いうまでもないことですが、韓国政府は十分に認識しています。もし個人賠償を原則とするのであれば、強制労働で働かされていた韓国人労働者の労働債権と、日本人が戦前ソウルなどの諸都市で所有していた商店や住宅、あるいは日本の旧財閥などが所有していた工場・農地その他の全資産の総額とを比較すれば、どちらが多いかは一目瞭然です。したがって、韓国政府が従軍慰安婦や戦前の日本の軍属・労働者に対して自分たちで負担しようと考え始めているのも当然なのです。そして、日本の知能の低い「民主的な」方々が個人賠償を原則としろと主張していますが、そのことは、結果的に誰を利するかは一目瞭然です(もしかしたらドイツのようにそこまで考えてやっているのかもしれんが……)。つまり日韓関係の原則として個人賠償をドイツのように採用することは、強者を利することになってしまう可能性を内部に孕んでいるのです。

(3) その他 参考資料
A:敗戦国となった日本は、六年間の米国を始めとする連合国の占領期間を経た後、一九 五一年(昭和二十六年)に、サンフランシスコ平和条約を結びました。連合国五十五か 国中、四十八か国と講和を結び、多くの条約当事国は賠償請求権を放棄しました。この 条約とそれとは別に個別の国々と結んだ協定(二国間協定)で、戦争で日本が与えた損 害に対して賠償を行なう約束をし、戦後補償問題は決着しました。
  日本が同条約に基づいて、戦後外国に支払った金と物は膨大なものであり、当時の金 額で一兆三百億円以上にのぼります。中身は、①賠償および無償経済協力(準賠償)、 ②賠償とは法的性格を異にするが戦後処理的性格を有する贈与・借款、③軍需工場など 日本国内の資本設備を、かつて日本が支配した国に移転、譲渡する「中間賠償」、④戦 前、日本政府や企業、個人が海外に持っていた在外資産の諸外国への引き渡し、の四つ から成ります。

個別の国々と二国間協定
Q:二国間協定とはどういうものですか。

A:サンフランシスコ平和条約の十四条は「日本軍隊によって占領され、日本国によって 損害を与えられた連合国」が、日本と二国間協定を結ぶことによって賠償が受けられる ことを規定しました。該当する連合国とはフィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、 インドネシア、豪州、オランダ、英国(香港、シンガポール)、米国(グアム、キスカ、 アッツ)の九か国を指します。ただ、大戦中はこれらの国は米、英、仏、オランダの植 民地あるいは属領であり、国際法上は独立国家ではありませんでした。この内、ラオス、 カンボジア、豪州、オランダ、英国、米国は賠償請求権を放棄または行使しませんでし たが、ラオス、カンボジアとは経済・技術協力協定を結び賠償に代わる準賠償を行って きました。またこの九か国以外でも、スイスやアルゼンチンなどには日本から受けた損 害に対する賠償請求権が認めらました。
  フィリピンには千九百八十億円、ベトナム(南ベトナム)には百四十億四千万円を支 払いました。北ベトナムに対しては七五年に八十五億円、また七六年には統一後のベト ナムを対象に五十億円の無償経済協力をしました。

役務賠償が途上国協力の原形
Q:役務(人的支援)での賠償について詳しく教えてください。

A:日本はサンフランシスコ条約に基づき、金銭ではなく「役務および生産物」を中心と して賠償を行うことが認められました。これは発電所建設やダム建設、港湾建設、上水 道建設、農業センター建設、船舶供与、トラック供与などを、技術を持った日本人が中 心になって建設などを支援したり、生塵物を無償で経済協力することなどです。アジア 諸国にとっては、経済発展していくために、これらの長期的資本投資の役割は大きく、 役務賠償を受け取る国の経済発展と社会福祉の増進に極めて役立ちました。また、途上 国に対する今日の経済協力の原形を成しました。
  その一方、この方式は、日本政府が日本企業に円を渡し、企業が発電所やダム、上水 道の建設、トラックや船舶などを相手国に提供するやり方をとったので、日本にとって も多くの需要が生まれ、大きな経済効果となりラッキーでした。役務賠償は結果的に日 本企業にとって絶好の海外進出のチャンスになり、日本と相手国との経済関係や人的交 流を深め、日本のアジア地域における経済的基盤を整えました。日本にとっては、国民 の負担という面だけでなく、海外投資の役目も果たしてきたわけです。
  日本が支払った賠償・準賠償は分割で支払っていますが、敗戦後の貧しい中、当時国 民が一生懸命働いて膨大な賠償に応じてきたことも忘れてはなりません。
                 

出典:日本時事評論 第1390号 平成12年12月8日

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