2014年4月21日月曜日

歴史への視点② 靖国神社

歴史への視点② 靖国神社
靖国神社については、様々な論評がなされ、何が論点なのかもわかりにくい。

1,はっきりしていること
①鎮魂の社であること。
靖国神社は、軍国主義の象徴のような論評があるが、基本的には、戦争で死亡した戦士に対する鎮魂のための社である。

明治新政府は、下級武士と朝廷による合同政府という面があるが、実は戦争で亡くなった人を鎮魂するという発想は、武士にはない。

前田利家が死ぬ前に、女房のお松が「あなたは、多くの殺生をしているのだから、この帷子をきて死んで欲しい」と言ったところ、利家は「お互いに堂々と戦ったのだから、何の恥じるところはない。それで死んだからと言って恨み言を言うような女々しいやつは、わしが地獄へ行って成敗してくれる」といって聞き入れなかったという話がある。武士の死生観がよくわかるエピソードである。

靖国神社の建立は、朝廷側の発案であろう。史実でも明治天皇が作ったと言うことになっている。戦争で死ぬのは、常に若者である。若くして死んだ人は、思いを残しやすいということで、鎮魂の必要を感じたのであろう。死者を悼む場所というだけではないのである。

②代替えの施設は不可能であること。
A級戦犯合祀の問題から、代替えの施設がとりざたされているが、それは無理というのは少し遺族の気持ちになればわかることである。

例話をすると・・・
ある村に、同年齢の男の子たちが10人いました。いつも行動をともにし、とても仲がよく、いつも一緒に遊んでいました。海の見える岬の先端に広場があり、そこが彼らのいつもの遊び場所であった。

ところが子どもたちが長じたある日、戦争がおき、全員に召集令状がきました。

彼らは、岬の広場に集まり、こんな話をしました。
「戦争が終わったら、○年の○月○日にここで集まるようにしよう」
「もし戦死しても、おれの魂は必ずここに戻るからな」

兵士となって戦ったこの男の子たちは、なんと一人を残して、他全員が戦死してしまいました。

終戦後、残った一人の男の子は、仲間を弔うために、どこへ行ったでしょうか?

答は出ていると思う。
それぞれの墓にも行くかも知れないが、本当に仲間のことを思い鎮魂の心を捧げられるのは、あの岬の広場しかないはずである。なぜなら、彼らが「死んだらそこに戻る」と言ったからである。

この男の子は、花をささげ、岬の広場へ向かったことであろう。


先の大戦で戦死した人たちは、子どもや妻に「お父さんに会いたくなったら靖国においで」 友人に「靖国であおう」と言って死んでいるのである。それを、新しい施設ができたので、そこに行って下さいと言われても到底、納得できるものではない。

この感覚がわからない人は、人との密接な交わりを経験したことのない人だと思う。

たぶん新しい施設が可能になるのは、遺族の代も何代か変わる100年程度の時間が必要と考える。

③A級戦犯合祀は、日本自身の混乱をあらわしている。
「A級戦犯は、アメリカが勝手に言い出したものである。日本としては認めない。戦犯の処刑などというものは、戦争で戦死したも同然だ」という思いが、合祀に走らせている。

ヨーロッパ戦線は、ナチスドイツによる侵略が原因といっても大方間違いではないのだが、太平洋戦線は、様相が複雑で、「侵略」「植民地解放」「経済戦争」「自衛」「権益」等々という要素がそれぞれに存在する。

結局は、当時の欧米と中国、日本、それぞれの思惑や駆け引き、力関係の中で、そういう方向に進んだという面があり、ナチスドイツと手を結んでしまった日本に正義の旗は立たないかも知れないが、連合国側にも言うほどの正義は無い。

先の大戦(特にアジア太平洋戦線)は、善か悪かなどという単純な視点で評価し、理解しようとすること自体が間違いである。

ところが戦後、アメリカによる一方的な「戦争の意味づけ」が実施された。もちろん、アメリカに正義ありきというものである。これに日本人の一部が反発した。A級戦犯に関しても「A級戦犯は、アメリカが勝手に言い出し、裁いたものである。日本としては認めない。戦犯の処刑などというものは、戦争で戦死したも同然だ」という思いが、合祀に走らせたのである。

しかし、客観的に見て、戦争時に政権を担当していた人に、何の責任もないのであろうか。
遺族の中にも、「戦争で死んだ人と、戦争に行けと指示した人が同じく祭られる」ということに違和感を覚える人も多いと聞く。

結局、合祀の問題は、先の大戦についてきちんと総括をしてこなかった日本側の混乱がまねいたことである。

④中国の立場
中韓にとって、靖国問題は政治のカードに過ぎないと考えていいのだが、ただ中国の場合、日本と国交を回復するに当たって、次のように人民を納得させたという経過がある。

中国人「現在の日本人を恨んでもいいのでしょうか」
中国政府「いけません。昔の日本人と今の日本人は違います」
中国人「昔の日本人を恨んでもいいのでしょうか」
中国政府「いけません。昔の日本人も、一部の軍国主義者、政府の指導者によってだまされていたにすぎません。今の日本人も昔の日本人にも罪は無いのです」
中国人「すべての責任は当時の政府の指導者にあるのですか」
政府「その通りです」

こう説明して、日本との国交を回復したという経過がある。そこで、A級戦犯が合祀されている靖国を首相が参拝するのは、中国政府にとっても具合が悪いのは事実である。

2,結局?
先の大戦の意義と影響、成果と問題について、日本人自身がきちんと分析・評価し、責任の所在についてもはっきりとさせること。そしてやはりA級戦犯は分祀が必要と思う。
しかし、いまの情勢では国内の意見をまとめることさえ困難を極める。また今は中韓が反発しているので、中韓に目がいきがちだが、戦後史観を見直そうとした場合、最後に立ちはだかるのはアメリカであるということを忘れてはいけない。しかし、それらをなしえた時に、本当の意味で戦後が終了するのだが・・。

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