2013年6月26日水曜日

呼と吸  日本と欧米の違い


呼吸をするということは、生きるという意味と同じである。


欧米人は、人間は、神が泥をこね、最後に魂を吹き込んでつくったと考える。そのため人間は、生まれた瞬間に息を吸って、生命活動を始めることとなる。死ぬ時には、「最後の息を神に返した」という表現があるように、息を吐いて終わることになる。

欧米人にとっては、生まれた瞬間に、まず息を吸い、そして吐いて、吸って、吐いて、吸って・・・最後に息を吐いて、死んでいくのである。呼吸という言葉があるが、彼らにとっては正確に言うと「吸呼」が、1つのセットということになる。


日本ではどうなのであろう。まず浮かんだ言葉が「最後の息を引きとった」という表現である。引きとったというからには、息を吸って死んでいることになる。それなら生まれた時には、どうなのかと思ったところ、「息を吹き返した」という表現があることに気づいた。死の世界から生の領域に生還した時に使う表現なので、日本人は生まれた瞬間に、息を吐くと感じていると考えて間違いないだろう。
私たちは、生まれた時、まず息を吐き、吸って、吐いて、吸って、吐いて・・・・最後に息を吸い込んで、死んでいくのである。この場合は「呼吸」で、一セットということになる。

科学的にいうと、欧米人の感覚のほうが正しい。くしゃくしゃに縮んでいた肺が、生まれた瞬間に広がるのであるから、まずは吸うことが始まりであろう。


しかし、なぜ日本人は、「呼吸」で一セットととらえたのだろう。

この文化的背景がよくわからない。上記のことは実は学生時代に思っていたことなのだが、その背景がわからなかったため、文章化してなかった。
未だによくわかないのだが、今のところは次のように理解している。


日本人にとって、「息」とはなんなんであろう。紙に書いた人型に息を吹きかけ、神社に持っていくが、あれは体内にある悪い気を紙に乗り移らさせ、体内を浄化するためのものである。吐く「息」には、そういうものが混じっているという感覚がある。空手における「息吹」にも、そういう考えが根底にあるし、仏壇のろうそくを息で消さないのも、穢れを吹きかけないためである。

この場合、「息」そのものが穢れているというのではなく、息を吐くことにより、穢れがそれのって出ていく、結果、自分を清めることができるという考えがあるということである。
そのため、この世に生まれた瞬間に、まずはこの身の穢れを放出し、生への活動に向かうという考えがあるのかもしれない。

もう少しすっきりとした解釈があればいいのだが、これ以上はわかない。もっと深い背景があるのではないかとも感じている。
しかし、単純に、生まれた時に赤ちゃんが泣くのを見て、最初に息を吐くのだと解釈しただけかも知れない。

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