2013年6月19日水曜日

世界の宗教 入門編  仏教 その1


開祖:ゴータマ・シッタルダ 釈迦族の王の息子

(1) 教義の概要

インドにはこの当時から(今もだが)、人間は死ねば、それで終わりではなく、生まれ変わるという考えがある。この場合、何に生まれ変わるのかは、生きていた時のおこないで決まるので、人間だった者が、悪いことをしていれば、次は犬になり、犬の時に悪いことをすれば、次は亀になり、亀で悪いことをすれば(亀の悪い行為とはなんだ?)、次は虫になるという具合である。良いことをすれば、次々と上にあがれるわけだが、人間で良いことをしていれば、次は例の「カースト」を次々とランクアップできることとなる。これを未来永劫繰り返すことを「輪廻転生」と呼ぶ。

※こういう考えが根底にあると、既存の社会制度を打ち壊し新たなものをたてるという態度が生まれにくい。生まれたカーストとしての仕事を全うすることが大切で、そのことを行えば、次は上級カーストに生まれると考え、行動することが自然になるからである。ここらへんのことがカースト制が戦後、廃止が宣言されても、現在もなくならない理由となっている。


さて、基本的に、インド人は生きていくこと自体を「苦痛」ととらえる傾向がある。これは人生観なのか、環境から来るものかはわからないが、中国人は生きていくことは「快楽」ととらえる傾向が強いので、民族性かも知れない。そのため、インド人は、未来永劫、生まれ変わることを繰り返すことを、苦痛が未来永劫続くととらえ、何とかそこから抜け出したいという考え方がでてくる。その輪廻から抜け出し(すなわち苦痛から抜け出し)、平穏な世界に入ることを「解脱」といい、そのような境地を「悟り」と呼ぶ。また悟りを得て輪廻転生から抜け出た人を「仏」と呼ぶ。後年そのような人は何人もいただろうと言うことで、何々仏というのが、いっぱいできることになる。お釈迦さんも仏の一人ですね。
仏教は、そのような悟りを得て、苦痛のない世界への解脱をめざすのが目的である。

(2) 教義の内容

お釈迦さんは、まず、人間がある事象を「苦」もしくは「不快」と感じるのは、なぜだろうと分析を行っている。例えば、お金持ちを見て、「いいなあ」「それに比べ私は不幸だ」と感じる心理の裏に、「お金を持っていることはいいことだ」という価値観があるとする。そういう価値観があるから、自分の今の状態に不満を感じるのである。

そのため、そういう価値観そのものを捨ててしまえば、苦痛は無くなると説く。

確かに、「お金があることは幸福とは関係ない。家族に囲まれ、みんな仲良く暮らすことが幸福である」と本当に思っている人は、お金持ちを見ても、特に何も感じないであろう。しかし、そんなことが可能なのだろうか、という疑問はさておき、そういう一種の「とらわれ」や「思い込み」がなくなれば、基本的に「悩み」も消失する。そういう煩悩が無くなった、自由な精神状態(=悟り)をめざしていくわけである。

ところで、生物が輪廻転生を繰り返すのは、生きている間に「渇欲」というものが残っており、それがエネルギーとなって、生まれ変わりを繰り返すと考えられる。そのため、悟りを得た人は、そういう渇欲も無くなるため、輪廻転生の輪の中からも抜け出せるというわけである。

 ※ちなみに、輪廻転生を繰り返すのに、前世の記憶がないのは何故かという疑問に対しては、生まれた時に大変な苦しみがあるので、その時、全てを忘れてしまうのだと説明される。赤ちゃんが生まれた時に泣くのは、そのためだという。お釈迦さんは、生老病死を人生の苦しみと言ったが、この場合の「生」は生きることではなく、生まれることである。
他には、生まれ変わるものは、そういう人格性を持った霊魂のようなものではなく、もっと生命の本質のような「識」というものであるという説明がある。この識についての詳しい説明は、世親著「唯識二十論」というのがあるそうです。


それなら、悟りをえるためにはどうしたらよいかとなると「四諦」「八正道」の具現化ということになる。
お釈迦さん自身は、かなり緻密な考えを持っていたが、人に応じて法を述べるという面があり、後世の人が、それらを勝手に解釈し、日本にわたると、お釈迦さんもびっくりというものに変身していく。
悟りへ過程は難しく、お釈迦自身も、なかなか説明に苦労されていたようである。。

このため、後の人が自分で工夫を付け加え、その考え方の違いが生じ、大きくは、大乗、小乗 そして自力、他力とか、只管打坐とか阿弥陀仏にすがってとか、多種多様な宗派が生じる理由となっている。

続く・・・  

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