2013年6月12日水曜日

日本と欧米の子育て文化 褒めると叱る

2001年記述


文部省から家庭教育ノートという小冊子が出された。

その中の日本と外国の意識調査を見ると,自分の子供の成長に満足していると答えた親は,日本では約40%前後であるのに比べ,アメリカやイギリスの親は,約83%前後になっている。また子供に対しての質問では,自分は「正直な子」「親切な子」「よく働く子」と思う子供は,ミルウォーキーで約60%,オークランドで50%,北京で40%あるのに比べて,日本では約10%前後しかないという結果であった。

一般に欧米諸国の人々は,自己に対する評価が高く,アジアの中でも特に日本は自己評価が低いということが言えよう。文部省は,この結果を子供の個性が大切にされていない結果であり,駄目なところを責めるより,良いところを増やしていくことが大切であると分析している。ようするに叱るよりほめて育てよということである。

しかし,日本の子供たちは欧米の子供たちより,不正直で不まじめで,親の期待にも添えない子供ばかりなのであろうか。少年の犯罪率から見れば,明らかに日本の子供たちの方が,犯罪を犯さないことは事実であり,また小中学校の大部分の児童生徒は、学習や清掃活動に真面目に取り組んでいる。そして欧米の子供の実態と,8割の親が満足しているという親たちの評価は明らかに一致していない。これはどう考えたらよいのだろう。


一般に日本は,子供を安易にほめず,むしろ叱咤激励して育てる文化であり,欧米は子供の長所を積極的にほめながら育てる文化である。

 日本の場合,基本的にあまりほめないという傾向は、特に伝統芸能の場合に強い。歌舞伎の役者は親からほめられたことが一度もなく,唯一舞台が終わってから父親が「うん」とうなづいてくれたことがあり,それが大変うれしかったと述べている。日本はそのような子育てをしてきたのである。

こういう何をしてもほめられることのなく,叱られる子供は,常に自己否定をされていることになる。常に「今のお前ではだめなんだ」というメッセージを送り続けられることとなる。するとこれを「今のような自分ではいけない」ととらえる子供は,常に自分をかえていこうと努力をすることとなる。

先の歌舞伎の話なら,親が亡くなっても「自分の今の芸は親を越えただろうか,いやまだまだだ」ととらえ,芸を磨いていくであろう。いわば強い向上心をもつことにつながるのである。

ただ一方「今の自分は駄目なんだ」という思いが「自分は何をしても駄目なんだ」ととらえていくと,自分に自信のない人間を生み出していくことになる。日本の子育ては,強い向上心をもつ人間を生み出す一方,自分に自信のもてない人間も生み出す可能性があるのである。


欧米諸国の場合は,日本の反対になる。ほめるという行為を通して、常に「あなたは,今のあなたでOKなんだ」というメッセージをあたえられる人間は,自己肯定感を強める。言わば自分に自信を持つようになる。結果、堂々と積極的に行動できる人間ができる一方,「今の自分でいいんだ」ととらえ、向上心のないというか,向上する必要を認めない(頑固な)人間ができてくる可能性も高い。

これらのことはリーダーの出現にも関係がある。欧米諸国ではリーダーシップを発揮する人間を多く輩出するのは、仕事がきた場合、自分に自信を持っている人間が多く「自分がやらずにだれがやれようか」と考えるからであろう。

日本の場合,人の上に立つことを嫌がったりする傾向が強いが,多くの人が根底に自己否定感があり,「自分がやるより,もっとほかに上手にできる人がいるのではないか」と考えてしまい、積極的に仕事を引き受けることにブレーキがかかるからであろう。

結局、「褒める」と「叱る」は、それぞれの特性を考え、時と場合に応じて使い分けましょうという結論が出やすいのだが、実は、それぞれの子育ての弱点というものも考慮に入れて、先人達は子育てを行っているのである。

日本は、戦国時代の宣教師の記録にもあるように、大変子供を可愛がって育てていたようである。宣教師は甘やかしているのではないかと思っていたようだが、その割りに子供は礼儀正しく、素直に育っていることが不思議だったようである。
日本は、普段は子供をとても可愛がり、情緒面の充足を十分に行い(※このことは人間に対する基本的信頼感を養うことになるが、これは人生を積極的に生きる上で大切なことである)ながらも、滅多にほめないことで、強い向上心を育て、わがままな子供や過度に自信のない子供の出現を防いできたのであり、欧米は、子供を褒め、自信を付けさせると共に、行動に厳しい制限を加えることにより、傲慢で怠惰な人間の出現を防いできていたのである。

現在の日本の状況でほめるという行為だけ導入すると、子供を可愛いがりにしている状況で、「ほめる」ということになり、このことは、低いレベルで満足してしまう人間や大した力もないのにリーダーになりたがる人間を輩出することになるだろう。既にこの傾向は見えているのではないか。


ある文化をみて、その良いとこ取りだけすることは出来ないのである。



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