2016年2月1日月曜日
武道最強論議 実戦ってなんだろう?
よく「この武道は実戦的ではない」とか、「実戦では使えない」とかいう言葉が使われる。
柔道、伝統空手、フルコン空手、ボクシング、総合格闘技、少林寺拳法、合気道までまきこんで、最強論議は、何十年たっても尽きないし、結論も出ないようである。
しかし「実戦」とはいったいどういう状況なのであろう。
例えば
①絡まれて胸ぐらをつかまれ脅される。もしくは殴られる。
②肩が触れた、触れないなどから、いきなり殴られる。
③数人に囲まれ、金銭を出すよう脅された。
④自動車などの運転をめぐって、トラブルになり、相手が降りてきた。
⑤決闘だという話になり、時間無制限、金的、噛みつき、目突き等何でもアリ。
等々でしょうか。
このようなトラブルは、嫌なことであるし、これに類したことを全く経験していない人は稀だろう。こんな時、こんな腐ったような奴らを正拳で殴り倒せたら気持ちいいですよね。
ただ、①の胸ぐらつかまれて押されたとしても、それだけで頭突きや目打ができるものでもない。③や④のような状況だけで、相手を殴り倒したとしても、眼底骨折でもさせれば、過剰防衛になり、刑事・民事ともにややこしいことになるのは、目に見えている。また相手が執念深ければ、必ず報復しようとつけ狙われることになるだろう。
①~⑤(⑤なんて経験する人は、まずいないですよね)まで例をあげたが、実際人生でよく遭遇するのは、口論をまじえた、なにやらぐちゃぐちゃしたトラブルで、これらはいずれも武道で直接的に解決できるトラブルではない。
それなら、武道は無駄かというとそうではないと思う。私は少林寺拳法をしばらく修行させてもらったが、やっている時は、強くなったという自覚の持てない不思議な武道だったが、その後、結構長い間、少なくとも一対一で、体重差25キロぐらいまでの相手で、日常生活で想定されるトラブルなら、なんとかなるだろうなという思いは持ち続けることができた。これは明らかに少林寺拳法のおかげ(+極真空手のおかげ)である。
直接的な肉体的脅威を感じるトラブルというのは、長い間生きていてもそんなに多くはない。しかし、対応次第では肉体的脅威に発展する可能性のあるトラブルは、けっして稀ではない。
しかしそんなトラブルに遭遇しても、少しでいいので余裕をもって対応できると、なんとか大きなことにならずに切り抜けられるように思う。そういう若干の余裕が持てるようになることが、武道をやる一つの意義だと思う。
若い人が自分がやっている武道が役にの立つかという思いがあるのは、よく理解できる。しかし、人生のトラブルというのは、拳を鍛えに鍛えれば解決できる、そんなに単純なしろものではありません。でも、武道は間接的にはトラブル解決に役立つものです。そのためには今やっている武道をとにかく一生懸命おやりになりなさい。武道自体に優劣はありません。
ただ、単独の武道だけでなく、傾向の違う武道をもう一つ習うといいかも知れません。例えばフルコン空手と少林寺拳法を両方、経験すると、フルコンで相手に対する気迫と体作り、少林寺拳法で日常起こりがちなトラブルに対応できる技法を学べるからです。
これらを5~6年やりこめば、日常生活のトラブルには、なんとか対応できる体と心ができるようになると思います。ただし、トラブルの解決には、最終的にはその人の人間力が必要です。
それでも心に不安がわき、まだまだ強くなりたいと思う人は、武道を続けられればよいと思いますが、強すぎる不安感、向上心は、あなたの職場環境がそういうことを必要とするのか、それとも心理発達上の何かが影響している可能性があるように思います。
そういう人は、武道をいくらやっても不安感はなくならない可能性があります。
最強論議がいつまでもなくならないのは、こういう論議をする人は、まだ年齢の若い人が多いこと。そして若い頃には、人生経験が少なく、頭の中でいろいろな状況をイメージしてしまうことや、体や心がまだ未成熟で、社会とどう適合していいのかわからない不安感などが関係しているように思う。
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