2016年1月30日土曜日

外国人観光客と刺青 温泉地のトラブルに思う

外国人観光客が増えるに従い、刺青のある外国人と温泉地でトラブルが増えているとのこと。難しい問題である。結論が出る訳ではないが、思うことを書いておく。
 
西洋人は気軽に刺青を入れると言われている。
 これは「身体」に対する感覚が日本人とは違うからである。

西洋人(キリスト教徒)にとって、人間は、神が土塊から体をつくり、それに魂を与えた存在と考えている。魂の救済こそが大切で,身体などは「土塊」、すなわち物体、せいぜいで「精巧な機械」という感じしか持っていない。そのため、体(=機械)のメンテナンス=トイレや化粧、お風呂等を同じ場所でやるのは当然という感覚になる。自動車が、エンジンオイルの交換や洗車などを同じ場所でやって違和感がないのと同じですね。
またそこから、もう動けなくなった自動車から、使える部分ははずして使うのは当たり前(=心臓移植等の臓器移植が盛んな理由ですね)という考えが出てきますし、自動車に「ワッペン」をぺたぺた張って(=刺青をあちこち入れて)も、特に抵抗感がないわけですね。


ただ、日本では、外国では、テレビや雑誌を通して、刺青がファションとして普通であるという認識が広まっているが、実は 西洋人でも刺青自体は、それほど上品な物ではないという感覚はあるようである。
米国では、刺青をしている人は約24%となっていて、誰も彼もがやっているわけではないようである。また警察官であっても、制服着用時に隠れれば容認されているらしい。しかし、海兵隊など一部の職業は入れ墨に制限があり、日本同様に入れ墨を消したいと考える人も多い。
また下士官以上の軍人にはタトゥーをしている人はまずいない。
また米社会で、タトゥーを持つ人々が職を見つけるのは易しいことではないという記事もある。ホテルや銀行、刑務所、大学、書籍店への就職は特に困難だそうだ。またある米国の就職支援サイトの調査によれば、タトゥーが「採用・昇進への障害になる」との回答は2位のピアス、3位の口臭を抑えて1位となっている

英国では、主に刺青は船乗りや労働者階級のファッションという傾向が強く、上流階級では好ましいとは考えられていないようである。
また旧約聖書やイスラム教では、確か刺青は禁止か、好ましくないと書かれていたはずである。そのため、ユダヤ人やイスラム教徒は刺青はしていない(と思う)。

日本以外の国では、刺青は一般的で、ファッションとしてだれもが気軽に・・という認識は、正しくはないようである。

さて、日本人の刺青に対する感覚は、魏志倭人伝の時代はともかく、奈良時代以降は決して良いイメージではとらえられてはいない。奈良時代から江戸時代まで、刺青は刑罰の一つとし導入されている。このため刺青=罪人というイメージは、日本人の間に定着していきます。そのため裏街道を歩む人や人の道に外れていると自覚する人たちも、刺青を入れることを、自分のアイデンテティとしていきます。また「清浄」を好み、「穢れ」を忌む神道的な感覚からも、一度入れると一生消えない刺青は、嫌われたのだと思います。

この感覚は、今でも一般的には残っています。そのため、こういう雰囲気の日本社会であえて刺青を入れる人は、やはりある種の覚悟と「毎日、こつこつと働き社会生活を送る」という感覚とは、また別の意識を持っているように感じます。
先日、腕から背中に刺青を入れた人を観光地で見ました。タンクトップを着ていたのでわかったのですが、季節は秋、もう11月の初旬でした。寒いだろうな、大変だなと思いましたし、そこまでしても見せたいという感覚の裏に潜む心理について、今更ながら考えさせられました。

一般的に、暴力団関係の方は、刺青を入れます。こういう方は、攻撃性は高い一方、劣等感も強く、繊細でひ弱な精神に、薄い皮がかろうじて張ったような状態の人が多いようです。そのため、ちょっとしたこと、例えば目があった、馬鹿にしたような言い方をした、言葉遣い、態度が悪い等、一般の人なら何も思わないか、若干の不快感を感じる程度のことで、自分を軽く扱われたと感じ、吹き上がるように心が動揺します。ただ、自分より明らかに強い相手には怒りは抑圧されます。(そんな場合も、人の目があって、ひくにひけない場合は別です) 自分より弱いと思える相手には、大変、暴力的になり、粘着的にからんできます。劣等感のはけ口になるわけですね。しかし、腺病質で本当は気が弱いところがある彼らにとって、こういうトラブルは、やくざは舐められたら終わりなので、実は気が重い事でもあります。相手からトラブルになるのを避けて引っ込んでくれるのが一番楽なわけです。そのために、歩き方、服装、髪型、口の利き方等を気をつけて「俺は普通の人間じゃないんだぞ。何をするかわからんぞ」と周囲にわかるようにします。車に乗ってしまうと、それが伝わらないと困るのでそれなりの車に乗るわけですね。(昔はベンツが定番でしたが、最近はミニバン型が多いようです。一般の人とわかりにくいですね。)
ところが、一番、こまるのは裸になった時です。貧弱な、もしくはふやけた体を見て(逞しい人もいるかも知れませんが、私はよく鍛えた体の暴力団の人というのは見たことがありません) 怖がってくれる人などだれもいません。彼らが「刺青」をするのは、裏街道を歩む決意というより、こんな時にトラブルにならないためというのが、大きいのではないかとにらんでいます。

暴力団に入っていない一般の人でも、刺青を入れる人はこういう気持ちがあるので、秋でもなるべく見えるように歩いているんだと理解しています。ファッションだと主張する人もいますが、多様なファッションの中であえて刺青を選ぶ心境は、やはりある種のこだわりがあると思います。

結局、日本で刺青を入れる人は、他の人からの攻撃を避け、人を拒否して、自分の脆弱な部分への刺激を避け、自分を守るための威圧としての効果を、意識的に、無意識的に期待していると言えます。
そのような状況の日本で、刺青をしている人たちを受け入れられる下地はいまだにないと思います。温泉地、サウナ、プールでは、あくまで外国人、日本人を問わず、今まで通り拒否したもらいたいと思います。
外国人の文化や風習を尊重するだけでなく、日本人の意識や文化的背景を理解させるのも国際化だと思います。






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