2015年7月28日火曜日

マーラー第五番  まずは楽譜の製本から


来年春の定演は、マーラーの五番である。

ぱらぱらと楽譜をめくってみたが、♯や♭の数が多く、また調が次から次へと変わっていく。

まあ難曲だなあ。

2015年7月21日火曜日

チェロという楽器 魂柱は楽器にぴったりとは接触していない

先日、裏板の修理を頼んだときに、魂柱と駒も交換となった。魂柱は20年ぶりぐらいの交換である。

その際、弾きやすく調整してもらったことは、既に述べたが、はずした今までの魂柱を見て思ったことを書いておく。

今まで、魂柱の接触面は、楽器のアーチにぴったり全面的にあっているものだと思いこんでいたが、どうも違うようである。
 
A面


橋本左内の最期

橋本左内は、幕末のかなり早い時期に、26歳で処刑されているため、俊才とよばれてはいるが、評価の難しい人物である。
生きていれば何事かをなしえたかもしれないし、なしえなかったかも知れない。
きちんとした評価ができる前に亡くなってしまっているのである。
地元では、「橋本左内は」などと話すと、町の古老から「橋本左内先生とよべ」とお叱りを受けるそうである。

そんな地元でも、昔から橋本左内の最期については、 触れたくない雰囲気があるらしい。処刑直後から、刑場で見苦しかったという話が出ているのである。

2015年7月18日土曜日

チェロの○○メソッドについて

交響楽団を休団していた間、一時、個人レッスンを受けた時があった。先生は大変優しい人で、また丁寧に教えていただき、ありがたかった。二ヶ月ほどお習いして、挫折してしまったのは、私の方の身体・精神状態が良くなかったことが理由である。

そこは○○メソッドの教室だったのだが、気がついたことについて少し書いておきたい。

最初に思ったのは、先生が模範演奏をあまりしないなあということだった。基本はCDで、まずそれを聞いてあわせなさいということなのだが、目の前で聞くのとCDでは全く違う。以前、田中先生から習った時には、先生の演奏を聴いて「なんていい音がするんだ」「どう弾いたら、あんな音がでるのだろう」といつも感じさせられた。それが、練習へのよい刺激にもなっていた。ところが○○では、まず生徒が弾く、それを聞いて、おかしなところだけ指摘がある。必要なら先生もあわせて弾いてくれるが・・。そしてもう一度弾く、まあまあできていれば、いいですねということで次の曲に進む。

2015年7月15日水曜日

梅雨である 練習しない理由はいくらでも出てくる件について

昔の梅雨は、雨が一日中、「しと  しと  しと  しと」と降り、そんな日が一ヵ月ぐらい続くという感じがあったが、最近は、晴れてるかと思えば、とんでもなく豪雨という感じで、どうなったんでしょうね。

いずれにせよ湿度は高い季節である。
ちよっとスマホをみていたら、本日の湿度95%である。
95%って水の中のようなもんじゃありませんか。

2015年6月23日火曜日

日本の仏教① 法事に行って

法事に行ってきた。

例のようにお坊さんからお経をもらい、最後に説教を聞く。(ちなみに浄土真宗である)

何事もない日常の風景である。

お布施の額により、あげるお経がかわることは、特に何も思わない。
※仏説阿弥陀経て、あんなに短かったっけ。若いころに聞いたときには、もっと長かった気がするのは年のせいか。それとも長いバージョンと短いバージョンがあるのか?

しかし、その後のお説教を聴きながら、既成の仏教はこれで大丈夫なのかねとは、いつも思う。

2015年6月7日日曜日

鬱的な状態の人に「がんばれ」と言ってはいけない理由


一般的に、「がんばれ」という言葉は、鬱的な状態にある人には禁句といわれている。

私も50代前半に精神的にしんどい時があった。職場環境が毎年変わり、適応できなかったのだと思う。精神科の医者にはかからなかったが、行けば「鬱的状態」と診察されただろう。その時の経験から、覚えていることを書いておきたい。

鬱的状態にある人は、実はとても頑張ろうとしているのである。
鬱状態に陥った人は、表情もなく、行動も鈍く、判断も遅いというかできない時が多い。他の人から見れば「チッ いい年して何やってんだ」と言いたくなる様子である。
ところが、本人はもの凄く努力して職場に出勤していることが多い。
まず、朝、起きられない。「行かなくては」という思いから、体をベットから引き剥がすように起きる。朝食は食べる気もしないので、そのまま車のハンドルを握る。職場にたどり着き、自分の机に座る。ほとんどそこまでで力を使い果たす感じである。

本人の心境としては、池の縁ぎりぎりまで追い詰められ、つま先立ちしてこらえている状態である。筒一杯がんばり、しかし追い詰められている状態である。

そういう人に「もっと頑張らないとだめだろう。自分の立場はわかっているんだろうね」などとという言葉は、致命傷になる可能性が強い。

「頑張れ」という言葉がなぜダメなのかというと、そこに「お前は何をしているんだ」「だめなやつだなあ」という否定的なニュアンスをかぎ取るからである。こういうぎりぎりで、筒いっぱいの状態でこらえ頑張っている人間に、「それでもだめだ」というのは、とても残酷な言葉で、その軽いひと突きで、池の中に落下してしまうものである。