2015年6月7日日曜日

鬱的な状態の人に「がんばれ」と言ってはいけない理由


一般的に、「がんばれ」という言葉は、鬱的な状態にある人には禁句といわれている。

私も50代前半に精神的にしんどい時があった。職場環境が毎年変わり、適応できなかったのだと思う。精神科の医者にはかからなかったが、行けば「鬱的状態」と診察されただろう。その時の経験から、覚えていることを書いておきたい。

鬱的状態にある人は、実はとても頑張ろうとしているのである。
鬱状態に陥った人は、表情もなく、行動も鈍く、判断も遅いというかできない時が多い。他の人から見れば「チッ いい年して何やってんだ」と言いたくなる様子である。
ところが、本人はもの凄く努力して職場に出勤していることが多い。
まず、朝、起きられない。「行かなくては」という思いから、体をベットから引き剥がすように起きる。朝食は食べる気もしないので、そのまま車のハンドルを握る。職場にたどり着き、自分の机に座る。ほとんどそこまでで力を使い果たす感じである。

本人の心境としては、池の縁ぎりぎりまで追い詰められ、つま先立ちしてこらえている状態である。筒一杯がんばり、しかし追い詰められている状態である。

そういう人に「もっと頑張らないとだめだろう。自分の立場はわかっているんだろうね」などとという言葉は、致命傷になる可能性が強い。

「頑張れ」という言葉がなぜダメなのかというと、そこに「お前は何をしているんだ」「だめなやつだなあ」という否定的なニュアンスをかぎ取るからである。こういうぎりぎりで、筒いっぱいの状態でこらえ頑張っている人間に、「それでもだめだ」というのは、とても残酷な言葉で、その軽いひと突きで、池の中に落下してしまうものである。



実は「がんばれ」と言う言葉が、本当に純粋な暖かさのある「励まし」である場合は、言ってもかまわないのである。

しかし、「がんばれ」という言葉の裏に、言った本人はそういうつもりが全くなくても、こういう状態にある人間は「だからおまえはだめなんだ」 「しっかりしてくれないとこまるんだよなあ」という否定的なニュアンスを感じ取りがちである。

そんなことから、やはり鬱的な状態にある人間に「がんばれ」は使わない方がよいと思う。その言葉をどうとられるか、予測できないからである。

追記
「美味しんぼ」という作品の中で、鬱的な状態にある人が「死にたい」と言ったことに対して主人公が「死んだらよい」という言葉をはいている場面があった。
これは、問題になったようで作者は、あとがきで、いろいろと言い訳をしている。結局、作者自身が鬱病だったので、この病気のことはよくわかっているから、こういう言葉もいいんだというのが、言い分のようである。
自分が鬱病患者であったから、他の鬱病の人の精神状態もこうなのだというきめつけをおこなう。そして自分の例を一般化し、自分の言った言葉を正当化しようとする態度は、視野の狭さを感じる。

しかし、私も鬱病だったというのは、たぶん嘘だろう。本当に鬱であれば、絶対にああいうことは描けない。あれは鬱に対して世間一般に広がっている浅い認識をそのまま描いているだけである。
描いては見たが反響が大きく、それに対する自己弁護のための方便であるとすれば、書きたくない言葉だが、「ゲスな人間」である。







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