2014年6月28日土曜日

科学という学問②  「信じる」という言葉を科学者は使ってはいけない

 科学という学問は、西洋で発達した学問だが、キリスト教と密接な関係がある。

※ここでいう「科学は西洋で発達した」という意味は、科学的な発見、発明をさしているのではない。科学的な発見自体は、世界中に昔から存在する。科学という学問の持つ基本的な考え方を、現象を解釈する学問として成立させたのは、西洋人であるという意味である。

 普通、科学と宗教は対立する概念と思われているが、
西洋の場合、科学はキリスト教を母体に発達してきたという面があり、対立しているようでそうでもないという複雑な関係がある。

現在の物理学者や天文学者でも、物質の(または宇宙の)究極の姿があらわになった時に、そこに「神」の真理も見えてくると考えている人は、普通にいる。

しかし、そのような科学者が、決して使わない言葉がある。それは「信じる」という言葉である。

2014年6月12日木曜日

パピヨンという犬 育て方には注意が必要

パピヨンである。犬は、三匹目である。 前回は高校生の時だったので、久しぶりである。前の犬は、事故でなくしたので、もう犬は飼わないと思っていたのだが、その子犬の余りの可愛さに、思わず手を出してしまった。それほど可愛い犬だった。ゲージに雄と雌の兄弟で入っていたが、雄の方をいただいてきた。
座り方は少し変

ただし、パピヨンは、飼い方に注意が必要である。
いささか育てにくいのである。


まず、大変頭がよい。人の様子もよく見ているので、上手に育てると、よくこちらの様子を見て、人の先にたって行動できるようになるが、反対に甘い対応をしてきちんとしつけないと、手に負えなくなると思う。みかけより気が強いのである。

 また、小型犬ではあるが、じっとしていることがなく、大変活動的な犬なので、一日一回は空き地などで十分駆け回らさないとストレスがたまる様子がある。
室内犬ではあるが、家におきっぱなしにはしないほうがよい。

やっかいなのは、一旦しつけても人の様子を見てまた態度をかえることがあるところである。様子を見て自分の要求を通そうとする。基本的に頭はよいのだが、我も強いので、従順な犬とは言えない。
以前飼っていたのは柴犬であるが、これは一度しつけると、二度と同じことを言う必要はなかった。素直で従順なのは柴犬の美質である。

どうしても、妻が扱うとやさしくなるので、何を勘違いしたのか、妻だけでなく私に対しても、唸って恫喝しようとした時があった。

その瞬間に(ホントに、ガルルのガを言った瞬間)即「××△△■■・・・・・・・・・」して(とても具体的にはかけません)、その後、ベランダに連れ出し、15分程正座させ(単にお座りをさせだが)、こんこんと犬としての生きる道を説いた。
 
「何かご用はありませんかね?」
内容は
①犬と人間は一緒ではないこと。犬としての分際をわきまえること。
②常に主人の顔色をうかがうこと。主人が何を考え、何を求めているか、常に注視するのが犬としてのつとめである。
③同じ注意をうけないこと。受けた注意を真剣に受け止めること等等

まあ初老のおじさんが血相を変えて犬に説教してるという姿は、滑稽であったと思う。

しかし犬は言葉はわからないが、人間の気持ちやその気迫はよく感じ取るものである。随分、いろいろな生き物を飼ってきたが、真剣に接して真剣に可愛がってやることは、どんな動物に対しても、大切なことだと思っている。

こんなことが四歳になるまでに、三回ぐらいあったが、以来、唸って反抗することはなくなった。また人を噛むことは、生まれてから一度もない。(妻は噛まれたことがあります)
犬は小さい頃から甘噛みはするものだが、この犬にそれをさせると将来危ないという感じがあったので、甘噛みもさせなかった。またそれにつながる遊び方(タオ ルをひっぱりあって興奮させる等)もしなかった。たぶんしつけをしないでおくと、結構平気で人を噛むような犬になると思う。その他、指示にはきちんと従っている。

きちんとしつけると、大変すばらしい犬であることがわかる。においもほとんどしないし、被毛も長い毛があるだけなので、ブラッシングも楽である。
騒がしく吠えることもない。というかほとんど吠えない。
特に病気も怪我もしない。この犬は膝関節が弱いという話はある。確かに足の骨などは細くきゃしゃなので、運動はなるべく土の上でするようにはしている。
人と常に遊びたがるが、べたべたとはしておらず、何かきりっとした気質を感じる犬である。

室内犬は初めてだったが、人間と犬が密着しているので、双方が気持ちよくすごそうとするとしつける項目も多くなり、その分トラブルも多いように感じた。三歳になるまでは、手が少しかかったが、今は、彼も自分の立場を理解し、安定期である。


そんなことを経てわかったのは、パピヨンを飼う時に一番大切なことは、常に「俺がボスだ」という意識と態度で接するということである。これはどんな犬を飼育するときにも必要なことではあるが、この犬は常にそういう意識と態度で接する必要がある。リーダーシップを取ることを負担に感じる人は、飼わない方がよいと思います。

また叱っている途中で、かわいそうになって甘い態度は見せない方がいいです。犬が混乱するからです。可愛がるなら時間をおいてからで良いです。ただかなりきつく叱ったら、よく可愛がってあげましょう。 
また唸ったり、噛もうとすると吃驚しますが、私はそれがどうしたという態度で、気にもせずに叱りました。犬は犬、主人は人間なのです。こちらが精神的にひるむと、態度にあらわさなくても、それを感じ取れる犬ですよ。

その他、禁止事項やしつけたことは、
ソファーやテーブルにのること
ソファーに犬がくつろいでいる様子をテレビで見ることがあるが、我が家では禁止である。若犬の時に、初めてソファーに乗った瞬間に、ポンと手で払い落としたら、それで理解した。また椅子に前足をかけることもさせない。たぶん、犬にとってソファーはよくて、テーブルはだめとかいうのは、理解しにくいことだと思うので、そういうたぐいのことは、全面禁止にしてある。

②人間が食べているものはやらない。間食は原則なしである。ただたまに、ばあちゃんが、ポロリと落とす時があり、それはお目こぼしなので、人間が食事中は食卓テーブル下で待機している。

③和室と私の部屋(楽器が置いてある)には、入らないようにしつけている。これも、「ここはダメ」と言っただけで理解した。

④他の犬がよくやる家具や柱をカジカジとかじることは、特にしつけた覚えはないのだが、一切したことがない。この犬は、もともと何かをかじること自体、あまりする様子がなかった。

⑤トイレは、ベランダか散歩の時にするようにしてある。ゲージの中ではしない。がまんしているようで、都合で長時間ゲージになってしまう時は、中でしてしまう。申し訳なさそうにしているので「だめだぞう」と一言言うが、これは特に叱ることはしない。

⑥呼んだら、必ずくること 
この犬は、若い時には、呼ばれたことがわかっていても、その時の状況を自分で判断してすぐにこない場合があった。自分のやりたい事がある時で、こちらも、来なくても「まあ、いいか」と思う心理状況にある時である。こちらの中途半端な気持ちを読んで、自分のことを優先させる賢さを持つ犬である。だから、呼ぶ時には、「必ずこい」と気迫をこめて呼び、来たら褒めてやりましょしう。

それでも来なかったら、こちらから猛ダッシュして犬を追いかけ回しました(私も若かったのかなあ)疲れますが、何回かやると必ず来るようになります。追いかけられた時は「しまった、判断を間違ったぜ」という顔をしますよ。


ところで、この犬は、先に書いたように、ほとんど吠えない。何かあるときは「クンクン」と訴えるが、「ワン」となくのは、よほど驚いた時だけで、1年に1回あるかどうかである。吠えないようにしつけをした覚えはないので、鳴かない犬なのだと思っていたのだが、犬も寝ると夢を見るようで、よく「ゥワン ゥワン ゥワン」と寝言を言う。
 

本当は吠えたいのを我慢してるのかなあ。




日本車とドイツ車の違い②  使用状況と民族性の違い

諏訪湖  いつもここで一服
ゴルフⅣは、老体にかかわらず、快調に走っている。本当に故障はしない。ただひたすらガソリンを入れて毎日走るだけである。たまにエンジンオイルの量は点検するが、これもほとんど減ることもない。そして車検の時に替えるだけである。

先日は、東京まで行ってきた。

走行距離は往復1080㎞で、高速中心なので、満タン法だが15㎞/㍑ぐらい走っている。
 

特に不満は無いのだが、走っていておもしろい車でもない。

この車は、FF方式で、これだけ車重のある車は、どう走らせたらよいのかというコンセンサスができないまま市場に出してしまったような感じがする。どういう車を作るかという根本というか方向性に迷いが見られる。
ただVW社もそこはわかっていたようで、最近のゴルフの走りはなかなかおもしろいらしい。
 

ドイツ車と日本車の違いは、いろいろ議論があり、優劣論も盛んなようだが、自動車は生産国での使われ方と民族性を色濃く反映しやすい工業製品なので、優劣を論じても仕方ないと思っている。

2014年5月9日金曜日

日本の戦後補償について ② Q&A

以下も、資料として掲載しておく。

(1) 日本の戦後補償
先生が、日本は戦後補償をきちんと行なっていないように言っていましたが、新聞ではもう賠償は済んでいると書いてありました。本当はどうなのですか。


こういう質問、絶対あるはずだと思っていました。教科書を見ても、とても賠償が終わったようには書いてありませんからね。まさに“教科書が教えない戦後賠償”についてお答えしましょう。
 昭和20(1945)年、敗戦国となった日本は7年間の占領期間を経た後の昭和26年に、サンフランシスコ条約を結んで連合55国ヶ国中48ヶ国と講和をしました。この条約とそれに続く個別の国との協定で、戦争で日本が与えた損害に対して賠償を行なうことを約束し、ここから戦後処理が始まったのです。
 例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円にのぼります。これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
 それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円に達しています。
 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。ちなみに昭和30年のスチュワーデスの初任給は7000円でした。
 さて最近、韓国から個々人に補償を要求する動きが新聞やテレビで報じられていますが、これについても一言ふれておきましょう。
 昭和40(1965)年、日本と韓国は日韓基本条約を結び、日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払いました。そこで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて「両国民の間の請求権に関する問題が 完全かつ最終的に解決された」としたのです。民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で死亡したものの遺族への補償に使いましたが、大部分を道路やダム・工場の建設など国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げました。韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、全国民が豊かになることを選び、それが成功したのです。そして韓国のとったこの行動は韓国自身が決めたことですから、出した日本がその使い道にあれこれ言うことはできません。(外交交渉の中で、日本はなるべく個人への補償をおこないたい旨を韓国に伝えているが、それに対して韓国政府は、お金はすべて韓国政府に渡して欲しい。またそれをどう使うかは韓国政府の判断に任せて欲しい。というのが答えであった。

  ですから現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らなければなりませんし、私たち日本人も貧しかった中で、一生懸命働いて賠償要求に応じてきたという事実を知っておかなければなりません。こういうたった30年ほど前の努力を知らない若い世代ほど、“日本は金持ちになったのだから出し渋らず払えばイイ”などと無責任な発言をするのです。一方、30~40年前に膨大な償いを課せられた60歳以上の人々は、これに反対するのは当然のことなのです。

日本の戦後補償について ①  実績

日本の戦後補償の問題が話題になった時があった。あれは一部のマスコミが火を付けてやろうという意図のもと、世論をたきつけようとしたというのが真実だが、右の表は、その時に調べたものである。
私たちの祖父母、曾祖父母に当たる世代は、敗戦後の貧しかった中、一生懸命働いて、誠実に賠償要求に応じてきたという事実を忘れてはいけない。

2014年4月23日水曜日

ハイブリットカー 本当にエコなのか

プリウスを中心とするハイブリットカーは、日本人が生み出した自動車として、誇って良い存在である。欧米人は、あくまでハイブリットカーは、ガソリン車から電気への移行、つなぎの技術として見ていたため、あまり本気で開発しなかった。ところがこの移行期間が案外と長期間続きそうで、目論見が外れたという面はあるものの、ハイブリットは日本が自動車において示したオリジナルとして、高い評価ができる。

ただし、内装にせよ、乗り心地にせよ、もう少ししっかり作れよとは思う。

2014年4月22日火曜日

ゴルフⅣ ドイツ人とデザイン感覚

ドイツ人のデザイン感覚はどうなっているんだろうと思うことがある。もちろん悪い意味でである。
はっきり言って、ドイツ人の造形に関する感覚はダメダメという感じが強い。なにかごてごてとしてあか抜けないのである。VW車はもちろん、ベンツもBMWもアウディも同様である。簡素で可愛らしかったminiが、ドイツ人にかかるとどう変化したかを見ると、ドイツ人の造形感覚がわかる。
ドイツ人に美を作り出せるとするなら、機能美という美であろう。

造形という点で優れているのは、イタリア人である。彼らはどうしてあんなに官能的な美しさを生み出せるのだろう。
ただ美しいのではない。豪華で、結構きつい色づかいをしながら、下品に陥らず(というかやや下品なにおいを隠し味として使いながら)、車の外観と内装をセンス良くまとめている。他の民族の及ばない分野である。ラテン系の民族からすぐれた彫刻家が輩出することも、彼らの持つ独特の感覚が関係していると考えられる。

※一時、フェラーリに日本人デザイナーが登用されたことがある。彼が担当したという車を見たが、何にも似てないものをつくろうとする意欲は感じさせるものの、なんともあか抜けないものであった。フェラーリにとって最も大切な官能的な美しさのない、美的才能の無さを如実に感じさせるデザインでしかなかった。日本のマスコミは「フェラーリ在籍」というだけで、持ち上げているわけだが、デザイナーとしては、最も大切な「センス」が無い人である。

しかし、ゴルフⅣもこうやってみると、悪くない。一種の「かたまり」感というのか、全体としてのまとまりと存在感は感じるデザインである。初代のジウジアーロが確立した形が良かったことと、そのデザインの流れが、まだわずかに残っているためであろう。