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| 諏訪湖 いつもここで一服 |
ゴルフⅣは、老体にかかわらず、快調に走っている。本当に故障はしない。ただひたすらガソリンを入れて毎日走るだけである。たまにエンジンオイルの量は点検するが、これもほとんど減ることもない。そして車検の時に替えるだけである。
先日は、東京まで行ってきた。
走行距離は往復1080㎞で、高速中心なので、満タン法だが15㎞/㍑ぐらい走っている。
特に不満は無いのだが、走っていておもしろい車でもない。
この車は、FF方式で、これだけ車重のある車は、どう走らせたらよいのかというコンセンサスができないまま市場に出してしまったような感じがする。どういう車を作るかという根本というか方向性に迷いが見られる。
ただVW社もそこはわかっていたようで、最近のゴルフの走りはなかなかおもしろいらしい。
ドイツ車と日本車の違いは、いろいろ議論があり、優劣論も盛んなようだが、自動車は生産国での使われ方と民族性を色濃く反映しやすい工業製品なので、優劣を論じても仕方ないと思っている。
以下も、資料として掲載しておく。
(1) 日本の戦後補償
先生が、日本は戦後補償をきちんと行なっていないように言っていましたが、新聞ではもう賠償は済んでいると書いてありました。本当はどうなのですか。
こういう質問、絶対あるはずだと思っていました。教科書を見ても、とても賠償が終わったようには書いてありませんからね。まさに“教科書が教えない戦後賠償”についてお答えしましょう。
昭和20(1945)年、敗戦国となった日本は7年間の占領期間を経た後の昭和26年に、サンフランシスコ条約を結んで連合55国ヶ国中48ヶ国と講和をしました。この条約とそれに続く個別の国との協定で、戦争で日本が与えた損害に対して賠償を行なうことを約束し、ここから戦後処理が始まったのです。
例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円にのぼります。これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円に達しています。
現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。ちなみに昭和30年のスチュワーデスの初任給は7000円でした。
さて最近、韓国から個々人に補償を要求する動きが新聞やテレビで報じられていますが、これについても一言ふれておきましょう。
昭和40(1965)年、日本と韓国は日韓基本条約を結び、日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払いました。そこで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて「両国民の間の請求権に関する問題が 完全かつ最終的に解決された」としたのです。民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で死亡したものの遺族への補償に使いましたが、大部分を道路やダム・工場の建設など国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げました。韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、全国民が豊かになることを選び、それが成功したのです。そして韓国のとったこの行動は韓国自身が決めたことですから、出した日本がその使い道にあれこれ言うことはできません。(外交交渉の中で、日本はなるべく個人への補償をおこないたい旨を韓国に伝えているが、それに対して韓国政府は、お金はすべて韓国政府に渡して欲しい。またそれをどう使うかは韓国政府の判断に任せて欲しい。というのが答えであった。
ですから現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らなければなりませんし、私たち日本人も貧しかった中で、一生懸命働いて賠償要求に応じてきたという事実を知っておかなければなりません。こういうたった30年ほど前の努力を知らない若い世代ほど、“日本は金持ちになったのだから出し渋らず払えばイイ”などと無責任な発言をするのです。一方、30~40年前に膨大な償いを課せられた60歳以上の人々は、これに反対するのは当然のことなのです。
日本の戦後補償の問題が話題になった時があった。あれは一部のマスコミが火を付けてやろうという意図のもと、世論をたきつけようとしたというのが真実だが、右の表は、その時に調べたものである。
私たちの祖父母、曾祖父母に当たる世代は、敗戦後の貧しかった中、一生懸命働いて、誠実に賠償要求に応じてきたという事実を忘れてはいけない。
プリウスを中心とするハイブリットカーは、日本人が生み出した自動車として、誇って良い存在である。欧米人は、あくまでハイブリットカーは、ガソリン車から電気への移行、つなぎの技術として見ていたため、あまり本気で開発しなかった。ところがこの移行期間が案外と長期間続きそうで、目論見が外れたという面はあるものの、ハイブリットは日本が自動車において示したオリジナルとして、高い評価ができる。
ただし、内装にせよ、乗り心地にせよ、もう少ししっかり作れよとは思う。
ドイツ人のデザイン感覚はどうなっているんだろうと思うことがある。もちろん悪い意味でである。
はっきり言って、ドイツ人の造形に関する感覚はダメダメという感じが強い。なにかごてごてとしてあか抜けないのである。VW車はもちろん、ベンツもBMWもアウディも同様である。簡素で可愛らしかったminiが、ドイツ人にかかるとどう変化したかを見ると、ドイツ人の造形感覚がわかる。
ドイツ人に美を作り出せるとするなら、機能美という美であろう。
造形という点で優れているのは、イタリア人である。彼らはどうしてあんなに官能的な美しさを生み出せるのだろう。
ただ美しいのではない。豪華で、結構きつい色づかいをしながら、下品に陥らず(というかやや下品なにおいを隠し味として使いながら)、車の外観と内装をセンス良くまとめている。他の民族の及ばない分野である。ラテン系の民族からすぐれた彫刻家が輩出することも、彼らの持つ独特の感覚が関係していると考えられる。
※一時、フェラーリに日本人デザイナーが登用されたことがある。彼が担当したという車を見たが、何にも似てないものをつくろうとする意欲は感じさせるものの、なんともあか抜けないものであった。フェラーリにとって最も大切な官能的な美しさのない、美的才能の無さを如実に感じさせるデザインでしかなかった。日本のマスコミは「フェラーリ在籍」というだけで、持ち上げているわけだが、デザイナーとしては、最も大切な「センス」が無い人である。
しかし、ゴルフⅣもこうやってみると、悪くない。一種の「かたまり」感というのか、全体としてのまとまりと存在感は感じるデザインである。初代のジウジアーロが確立した形が良かったことと、そのデザインの流れが、まだわずかに残っているためであろう。
歴史への視点② 靖国神社
靖国神社については、様々な論評がなされ、何が論点なのかもわかりにくい。
1,はっきりしていること
①鎮魂の社であること。
靖国神社は、軍国主義の象徴のような論評があるが、基本的には、戦争で死亡した戦士に対する鎮魂のための社である。
明治新政府は、下級武士と朝廷による合同政府という面があるが、実は戦争で亡くなった人を鎮魂するという発想は、武士にはない。
前田利家が死ぬ前に、女房のお松が「あなたは、多くの殺生をしているのだから、この帷子をきて死んで欲しい」と言ったところ、利家は「お互いに堂々と戦ったのだから、何の恥じるところはない。それで死んだからと言って恨み言を言うような女々しいやつは、わしが地獄へ行って成敗してくれる」といって聞き入れなかったという話がある。武士の死生観がよくわかるエピソードである。
若者の車離れだそうである。昔ほど車に関心を持つ若者がいなくなっているということらしい。自動車評論家は、原因として若者を取り巻く娯楽が多様化したことや交通網の発達に伴い、車を必要としなくなったこと等をあげていた。
何を言ってやがる という感じである。
今の車のどこに、若者の心を奪うような車があるというのか。あるのは実用本位の真四角の車ばっかりじゃないか。前から見ると人相?(車相?)の悪い車も多い。あんな格好の車に乗りたいとは思わないだろう。他にあるのは、ハイブリットのか細いタイヤをはかせた、乗っていて何のおもしろみもない車である。若い者がガソリンが節約できてうれしいと思って車を選ぶわけがないだろう。スポーティな車にGT-Rがあるが1000万を超える車を若者はもちろん、一般の人の誰が買えると思っているのか。
それに若者=スポーティな車を好む という考え自体が古いと思う。
トヨタが86を出した。何度か街角で見かけたが、たまたまかもしれないが、運転している人はいずれも髪が白くなったおじさん連中ばかりだった。あれは、昔の若者がよいと思った車をもう一度出したに過ぎない。今の若者が「いいなあ」と思う車は、ああいう車ではないのである。
若い人で車が好きな人は、外車に流れるのではないかと思うが、この外車というやつは、昔と比べると随分ましになっているが、未だに若い人が気軽に買える値段ではない。
結果、若者は割り切って国産車を買うのである。
今の若者が選べる魅力的な車をメーカーが生産していないことが、車に興味を示さなくなっている理由であろう。