2011年6月1日水曜日

ショスタコーヴィチ  ヴァイオリン協奏曲 2

 定演まで二週間という時期にしては、何ともテンションが上がってこない。原因の一つは、例のショスタコである。理解不能という感じは今もある。大抵の曲は、弾いていると快であれ不快であれ、何らかの感情のリアクションがあるのが普通だが、この曲に関しては何もおこらない。言わば理解不能なのである。
 ただ最近、これは大変「陰鬱な」曲なのではないかという感じがするようになった。それも何か救いようのない閉塞感を伴う暗さ、そしてそれに対するイライラとした感じである。
 多分だが、この曲ができたのは、1948年なので、例のスターリンの時代である。スターリンと聞くと粛清、収容所、秘密警察、密告、盗聴などの言葉がすぐに連想される。この曲の陰鬱さは、あのどうしようもない時代の空気を反映しているとするなら、少し理解もできる。
 ようするに、この曲には、あのソ連の暗黒の時代の「におい」がするのである。あの時代の臭いのするものに、なじめないのも当然とも言えよう。ただ、曲想が現代的だと言うことだけが理由ではないのである。
    一つの芸術ではあると思うが、積極的に取り組みたいとも思わない曲 になりそうである。

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