2013年4月22日月曜日

六十にして惑う

徒然cello日記として始めたのだが、肝心のチェロについてはさっぱり書かなくなってしまった。

長年続けてきた交響楽団を休団したのは、何より目が衰え、楽譜がはっきり見えなくなったことがあるのだが、何か心に張りがなくなり、何をするにも億劫になってきたことが大きい。

そういう気分に加え、たぶん定年ということが現実的に感じられる年齢になってきたことから、来し方を振り返り、今後のことを考えてしまうことがある。

四十而不惑、 

五十而知天命、 
六十而耳順  

孔子は本当に思って言ったとすると、彼は実に人間的に心身とも逞しい人だったのではないかと感じている。(実際、孔子は身長180㎝を超える大男だったのだが)
自分だったら断定的に人生をこういうふうに言い切れないからである。

心身の衰えを感じ、子どもが手を離れ定年を迎える六十歳前後は、もう一度、自分の生き方を考える時期となっている。

孔子の時代と比べ、はるかに寿命がのび、人生のサイクル自体が変わっている現在は、六十にして、今一度惑うのである。

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