2015年10月11日日曜日

楽焼き 楽家歴代家元の茶碗展をみて

茶の湯の茶碗等、道具類は、部外者にはその価値がわかりにくいところがある。
朝鮮あたりで本当に飯茶碗に使っていたような物にも独特な価値を認める。そこに新しい美の創造は感じるのだが、仲間内だけで通じる美意識、何か閉ざされた美意識という偏見も抱いていた。

茶道の家元制度に対しても、伝統の継承は大切だが、一方、千利休の確立した所作を守っていくだけなら、新たな美の創造とは無縁であり、それなら芸術としては死んだ存在、いわゆる伝統芸能の類(これはこれで価値がありますが)になるだろう。そして「上手な集金システムが確立された組織」という感じも、抱いていた。

茶道の話になってしまいましたが、もう一つ書くと、極論ではありますが、もう今の時代、一碗をみんなで使って茶を飲むというのは、無理じゃないかと感じています。そこに意味があるのだという主張はわかるが、お湯でゆすぎ、布でひとぬぐいするだけでは、女の人の口紅の跡などは取りきれない時があります。基本的に不衛生ではあることは認めざるを得ません。
今は、強い感染力を持つ細菌、ウィルスも見られる時代である。潔癖主義のいきすぎた現代社会にも問題はあるが、これはやや時代に合わなくなっている一例ではないでしょうか。
しかしこういう伝統芸能化している分野は、伝統の継承こそが目的となっているので、変革はなかなか難しいのだろう。

本来の茶道の目的は、客人をどう迎えるかという点にあり、その日の天気、季節、客人の様子・気質にあわせる柔軟性、即応性がおもしろみでもあるのだが、そういう客人や時代に合わせる努力は、今の茶道界もされていることはわかっている。

しかし、その変化への対応と芸術性の両立という点から考えると、なかなか難しいようである。客人や時代への迎合ではない「もてなし」と、芸術性を両立させた千利休という天才は、そうそうは現れないということを感じさせる。


本題に戻ると、国宝の「卯花墻」も、写真で見て「閉ざされた美意識」のたぐいのものじゃないだろうかと思っていた。



数年前に、私の住む地方都市に「卯花墻」の展示会があった。

単独で鑑賞できるような展示で、側面も上下も360度、どの位置からも見えるようになっている。見えないのは糸底だけである。

東京でこのような展示があれば、人混みの山だろうが、この小さい都市の展示会では、全体に人数も少なく、何人かは、「フンフン」という感じでこの茶碗を見ておられたが、せいぜい10秒程度で立ち去っていく。それで私は、長時間一人で見ることができた。

 

感想は・・・・。

これは、名碗です。外人に通じる普遍性を持つかどうかはわかりませんが、これは確かに芸術です。見ていて言葉に尽くせない感動がありました。(あたりまえだろ、今ごろかいという話ですが)

上下、側面、どの面を見ても、見飽きることがない。内側も照明のあてかたが上手なのかも知れないが、いつまでも見ていられる。思ったよりは小ぶりの茶碗ですが、これは「すごい茶碗だなあ」というのが素直な感想で、全体に「豪華な茶碗」という印象です。
実際見ないと、良さはわからないです。いいものを見せていただきました。

しかし、この茶碗をほぼ一人で15分以上じっくり鑑賞できるというのは、地方都市に住んでいる特権といえるかもしれませんね。


また同じ年に、楽家歴代家元の茶碗の展示会が、私の住むA市近くのB村の「陶芸館」でおこなわれていた。レプリカなどではない。どれも真物である。これも、こんな有名な展示物なのに、先の展示会以上に人が少ない、というより人がほとんどいない。
見るにはありがたいですが、ちょっともったいないです。

長次郎の黒楽がありました。
一見、無造作に作られた素朴な造形に見える黒茶碗です。作為性はあるのですが、表面にほとんど出ていない。そして間近で、見れば見るほど、これは容易につくれるしろものではないという凄さを感じます。
なにげない造形に「才能がないとつくれない形」が隠された名品でした。


その他、歴代の楽家、家元の作品が並べてありました。

並べてみてしまうと、「才能は遺伝しない」という残酷な事実をあらためて感じさせます。

何代かにぽっと「これは」と感じさせる作品がありますが、長次郎を超えるような才能は、そう簡単にはやどらないことを感じさせます。

しかし、歴代の作品は、いずれも大変、真面目に、真剣に作陶しておられます。そして家元としての責任感や気迫が感じられ、その作品は凡庸なるものではありません。

「何とか、先代を超えよう」「何とか、新しい自分の作品を確立したい」という、あがくような執念というか葛藤が感じられる作品もありますし、なかには「私は先代は超えられない。自分は自分なりの作品を懸命に作り続けよう」という諦観の感じられる作品もありました。

家元になるという、大変さを感じさせられた展示会で、見た後に何やら心に重いものが残った展示会でもありました。











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