2015年9月18日金曜日

校長の公募制に思うこと 大阪の事例から

少し前の話だが、大阪の公募制によって校長になった人たちが、次から次へと不祥事をおこして辞職するということがあった。

これは橋下さんが知事時代に始めたことだが、最初からうまくいくのかなあと思っていた。

教育に外部の新鮮な視点を導入することによって、教育の活性化をはかるというのが目的だろうが、教育という分野も専門性が高い分野で、先生が一人前になるためには多くの経験や実践を積むことが求められる。それを、学校のことを全く知らない人が入ってきて、「こうしろ、ああしろ」と言っても、ピント外れの実情に即さない指示に終わってしまい、先生方がついていけないだろうと思う。
銀行の支店長に「外部の新鮮な視点が必要だ」と言って、学校の校長先生をつれてきたら、だれもが「そんなもん だめやろ」と思いますよね。同じ事だと思いますよ。


それに、一般的にそういう公募に、働き盛りの40~50代の人が応じるのは簡単ではないはずである。その年代は、会社や工場の中核であり、今進行中のプロジェクトの中心になっている人も多いはずである。本人としてもそれを投げ打って「来年からやめます」とは言えないし、会社も、有能な人材であれば一応引き留めるはずである。
結局、そういう公募に応じるのは、それらの障害を振り切っても教育に携わりたいと思う情熱を持っている人(そんな人は、とっくに教員になっていると思うが・・)か、会社でなんとなく行き詰まっていて、新しいことをやろうと思っているか、なにをしてもうまくいかず人生一発逆転をねらっての公募しか考えられない。

結局、校長公募制に集まる人は、「とても優秀で教育に対する情熱を強く持っている人」か「何となく行き詰まるか、何をしてもダメなので人生の逆転をもくろんでいる人」ということになる。はっきり言って、前者は希だろう。

橋下さんが、校長公募制を言い出した背景はわかるのだが(大阪の教育界がかかえる問題については、また時間があったらまとめます)、校長公募制は、やめた方がよいと思います。

あと、人生一発逆転をねらえる職種に、国会などの議員という職がある。昔からではあるが、特に比例代表制は、こんなん議員にしたらダメだろうというのが、結構ありますよね。




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