2012年7月3日火曜日

少林寺拳法に想う

※今から約30年前に、ワーブロで書いた文章です。それでも現在でも通じる部分もあるように感じますので、あげてみましたたのですが、どうでしょうか。

(1) 少林寺拳法と武道

 少林寺拳法は、宗道臣が戦後立ち上げた武道である。いわゆる新興武道であり、このような新しい武道は今に至るまで雨後の竹の子のごとく出てきているわけだが、少林寺拳法は、柔道、剣道、相撲道、弓道、合気道、銃剣道の伝統ある武道に並び日本の武道の一員と正式に認められている。剣道や弓道、相撲の伝統の古さはいうまでもないが、比較的新しい柔道、合気道、銃剣道でも明治に確立しており、その母体となった柔術、合気術などは古い伝統を誇る。純粋に戦後生まれの武道は少林寺拳法だけである。これは凄いことである。宗道臣の政治的な力を含めた人間性の大きさとも言えるが、多くの人に広まり、その勢力を無視できなかったことや、その成立の精神性に多くの人を納得させるものがあったからであろう。

(2) 少林寺拳法の特色

①日本の武道であること

  名前から言うと、中国の武術との関連がありそうで、宗道臣自身も、そのことを否定せず、著書の中では、むしろ積極的に中国との関連を書いてある。しかし、技術的には中国との関連はほとんどないのではないか。
むしろ不遷流柔術や八光流との関連が指摘されている。しかし、それも何となく似た技法はあるものの、少林寺拳法のこの技法は明確に何々流のこれだというものは見あたらない。宗道臣の言うように、日本や中国の武術やボクシング等も参考にして作り上げた「少林寺拳法」といか言い様のないものである。新しいものを作り上げる開祖という存在は、だれでも一種のカリスマ性と独創性を持っているが、まさに宗道臣は開祖というに相応しいと思う。
    しかし彼が、中国とのつながりにこだわったのには理由があると思う。戦前の日本の武道は(今でも体育系の各種競技は同じだが)上下関係が厳しく、上の者の言うことは絶対であり、またとにかく何をしても勝てばよいという風潮があったという。現代の武道というものに抱く印象とは違うものがあるが、そういう風潮に嫌気がさしていた宗道臣は、中国嵩山少林寺に残る壁画を見て感動したという。それは拳法の練習をしている図だが、色の白い人、黒い人(たぶん印度人か)がお互いに楽しそうに技を掛け合う絵だったという。 たぶん宗道臣はこの絵を見て、ほっとするとともに自分の理想とする武道をこの絵に見て取ったのだと思う。彼の武道家としての思いや出発点はここにある、このつながりを大切にしたいという思いが、彼自身が生み出した武道に少林寺拳法という名前を付けさせたのであろう。言わば技法は日本産だが、心がこの中国嵩山少林寺にあるのである。


②攻撃技や仕掛け技がない

   少林寺拳法をやって驚いたのは、すべての技の体系が、「相手が上段をついてきたら」「相手が中段を蹴ってきたら」「相手が右手を握ってきたら」という、相手からの攻撃が前提になって組み立てられていることである。自分から攻撃するという場面は全く想定されていない。(※厳密に言うと仕掛け技が全くないわけではないが) 
   言わば、「自らは攻撃することはない。しかし、攻撃を受けた場合は、身を守る体制を取る」言わば「絶対不敗」という武道である。ここに宗道臣の強い精神性を見ることが出来る。そしてこのように少林寺拳法に流れる宗道臣の精神性が人々を魅了したのだと思う。


③指導者は専門家ではない

   少林寺拳法の稽古をする場を道院、その指導者を道院長というが、指導者はこれで生活しているわけではない。必ず正業についており、道院長というのは完全にボランティアなのである。
 開祖は、いわゆる職業的武道家というものに対して、一種の嫌悪感を持っていたのではないかと思う。また、強さのみを誇る武道家に対しても、「瓦を何枚割れる。それになんの意味がある」等、結構過激な言葉を投げ、これらは物議をかもすこともあった。
   開祖は、家庭的に恵まれない人であったということは、広く知られている。幼い時から青年期まで、母親や妹をなくし、親戚の家で生活をしたり、家出をしたりを繰り返している。いわば苦労人なのである。そういう人から見れば、「俺の拳は瓦を何枚割るぞ」「あいつを殴り倒してやった。俺の勝ちだ」などと言っている人間を見ると、その言動が浅く見えてしょうがなかったのだと思う。「人を殴ったり、蹴ったりすることがちょっとうまい?それになんの意味がある」「人を殴れれば 勝ち?そんなことで人生の勝負は決まらない」と考えていたのだろう。
 ここにも、「武道で身につけたものを生かして、社会の中でしっかりと生きていくことが大切だよ。社会の中で正業につくことが大切なのだよ」という宗道臣のメッセージがある。

(2) 少林寺拳法の問題点

①低い実戦性

   少林寺拳法は弱いというのが、はっきりいって通り相場である。少林寺側は、この議論に対しては、「そもそも強さとは」という議論に持ち込んでいくことが多いわけだが、そういう議論は別として、客観的に肉体的にも精神的にも、強いと言える人はそう多くはいないと私は思う。何故そうなるかと言えば、

・基礎練習の反復不足

    一般に技の数が多いので、一つ一つの技の習熟が不足している。 突きや蹴りなどの基礎練習の反復も大変不足している。空手などと比べると半分以下であろう。そのため、きちんとした突き方や蹴り方が身につかず、基礎体力もつかない。

・自由組手の不足

   多くの技は、いわゆる約束組手であり、相手が必ずこちらの思う攻撃をしてくれるわけではない以上、型を使えるようにするための、自由組手は必修である。本部では段階的な自由組手のプログラムがあるようだが、地方の道院ではほとんど実施していないのではないか。このため、少林寺拳法はやってもやっても自分が強くなったという自覚が持てない不思議な武道となっている。
    また以前は、大学などを中心にグローブを使った組手がおこなわれていたが、これはこれで問題である。素手でやると危ないという考えでグローブをはめたのだろうが、脳への衝撃という点ではグローブをはめるとかえって危ない。そのためボクシングでは、スパーリング始める前に、ウェービングやダッキングなどの防御方法をかなり入念に教え、その上で軽いスパーリングへ入るようにしている。それでもボクシングは死者の多いスポーツとして知られている。ましてそのような訓練なしにいきなりグローブによる組手をおこなうなど危険である・・と思っていたら案の定、死者がでて、結果、しばらくは組手禁止となってしまった。
    本部では安全な防具の開発など、いろいろ考えているようだが、二代目の宗由貴さんは、少林寺拳法を強くしようなどとは考えていないようである。強さとは精神性と考えているようだが、少林寺拳法を習っても、体力的にはもちろん精神性も強くならない。

   もちろんどんな武道でも本人の自覚次第、かかわり方しだいではあるという意見もある。しかし、少なくとも週三回の練習に真面目に出て、練習に励んでいるものに、3年間も続ければある程度の体力と、普通の生活上で想定されるようなトラブルはさばけるような護身の技術が身につき、自分に自信が持てるようなプログラムにすべきではないか。これは指導者のやるべき責任である。

   開祖は桃太郎のような正義感と実践力のある人間を育てたいと考えていたようだが、現状では、身近に助けなければいけない事件が起こっても、見て見ぬふりをする拳士が多いと思う。強さに自信が持てないからである。

(←あらためて読むと偉そうな書きぶりですね。ただこの部分は少林寺拳法の本質に関係することなので、これに対する実践を踏まえた反論をしてもらえるとうれしいなあとずっと思っていましたが、今に至るまで何一つありません。一つだけこの部分とは関係ないことで、何故か上から目線の書き込みはありましたが・・・。結局、この通りなんでしょうね。2015.4記)

・技の固定化

   現在の立ち技系で避けて通れないのは、下段蹴り対策である。ところが少林寺拳法の正式の体系の中に、この対策は未だにない。拳士が個人的に考えていることはあるが、それを本部は取り上げようとしない。少林寺拳法の技を見ていると、対柔道の技が大変多いことに気づく。これは、開祖が技を教え始めた頃は、柔道を習った人が大変多く、中途半端な技は柔道の技で返されてしまったという事情があると考えられる。開祖を中心として当時の弟子達が柔道に対抗するためにはこうしようということを考えて、対柔道の技を考え出していったものが、今に残っているのであろう。そういう柔軟さが少林寺拳法の特徴と考えられる。戦後まもなくは柔道に対する対応でよかったのだが、現在は、立ち技だけでもキックボクシング系 フルコンタクト系、伝統空手系がありそれらを修行している人間はけっこうざらにいる。

   少林寺拳法の特色に「絶対不敗」の体制をつくるということがあり、そこに開祖の精神性があるとするならば、現在は現在の状況に応じて対応を考えていくべきであろう。その柔軟性も少林寺拳法の特色であり、開祖も生きていたら必ず新しい技を考えていたと思うのだが、どうだろう。

9 件のコメント:

  1. 本人が望めばレスリングを除いて殆んどの武道、格闘技の理法が見え易いし、哲学までにも
    道が開かれている所が少林寺拳法の特色だと思いました。

    負けないと言うことは勝つと言うことよりも幅がずっと広く易しいものですから、自分的には相手
    の力量が見えるだけで学生時代に少林寺拳法をやってて良かったのではないかと思っています。

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  2. コメントありがとうございます。
    40代前後の時に、少林寺拳法を再開したいと思うと同時にためらう気持ちが起きるのは何故だろうと思ったのが、この文章を書くきっかけでした。思想と技法が一致していることや技法を合理的に組み上げていくという考えが基本にあり、武道にありがちな神秘的な部分が極力排除されている少林寺拳法は、今でも多くの人を魅了する力を持っていると思います。おっしゃられているように、私も仕事上多くの人と接してきましたが、激昂した人に対しても「まあ、なんとかなるだろう」という感覚と、相手をよく見る目が養われたのは、少林寺拳法のおかげと感じています。

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  3. 現役の拳士です。


    同感です。私も疑問を感じていました。

    大学や、東京の支部(本山出身のかた)で習って初めて使えるといえるものを学びました。
    それまでもしていましたが、高校までに習ったものとは本当に質の違うものでした。


    現在は転勤で地方にいますが、練習法に疑問を感じています。これから練習法をかつてのようにしていかねばと思います。 いまは拳禅一如ではなく、
    禅拳一如のような有り様で悲しく思います。

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    1. コメント ありがとうございます。
      少林寺拳法の思想、「気」とかいうものを排除した合理的な考え方と技の数々等々、大変素晴らしいものがあります。今も私の心は少林寺憲法から離れてはいないのですがが、いざ、道院に練習に行くと・・・・。
      このままでは、何か悔しいですよね。一人一人が考えて頑張っていくしかないかなどと思ったりしています。難しいですけどね。

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  4. 今迄ネットのコメントの中に不遷流の話題が上がりようような俗説がネットに流れている為敢えて俗説に対し少しコメントしておかないと行けないと思い立った次第である まず最初に少林寺拳法の中野道臣氏の事から話しを進める事にしょう不遷流二代から岡山県が主体になってるが同じく中野道臣氏も岡山県の作東町大内谷出身なりで同じ岡山県から隆盛したのだがその中野道臣氏が不遷流をやっていたとの事であるがこれは全くの俗説であるこの件は私も海外の少林寺拳法をやっていた者から質問を受けた事があったがその時当時不遷流六代に聞いてみた事があり門人帳があるので調べてみたが中野道臣氏の名前も宗重遠 祖父 の名前も無い事が判明している宗重遠は武徳会槍術師範をやっていたみたいだが当時不遷流の四代田邊又右衛門武徳会範士との接点があったかどうかは否定しないそれと不遷流の開祖物外が禅僧達磨との関係から中野道臣氏の禅の宗教法人との関係性でこの様な俗説が生まれたとの見方ができるが技の技法や技の名前などにしてもさほど接点は無い様に見受けられる不遷流は物外からの伝統伝承がきちっと残っているので調べればすぐにわかる だから不遷流でも国外国内で不遷流の名前を使った道場があるが盛武館以外の道場に対して当方には全く関連が無いやっている技の名前も技自体も当方のやり方と全くと言っていいほど違うこれだけ違うと呆れてしまう伝承の技も知らずにやってるみたいだがそれでも不遷流の名前までもが一人歩きしている情けなくも先師に申し訳ない

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    1. 詳しい内容を書いていただき、ありがとうございます。
      勉強になりました。

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  5. 前回 不遷流と宗 道臣氏の関係に付いてコメントしたが今回は宗道臣氏が特務機関に所属していたと言うこれもとんでも無い俗説である当時の状況や環境や また満州国に渡った年格好から見て20歳迄の宗道臣氏の状況から特務機関などと考えられない 当時特務機関と言うのは陸軍中野学校 現在の言い方であればスパイ🕵️‍♂️学校🏫があった そこに著名な甲賀流忍術和田派十四代 の藤田西湖氏がおられたが 当方の先代とは関係があるが たぶん同じ中野の名字が中野学校との🏫関係があるみたいに勘違いした感があるみたいだ 要するに満州に渡った年格好が余りに若いと言う事である 私の調べた限りでは満鉄の鉄道🚃警備隊であった可能性の方が高いと言う事でであるこの事に付いてはこれ以上踏み込む事はしないがその内には当時の現地調査をやられた人がいるのも事実である しかしその様な俗説に振り回されるのもいかに また反対にようような流派によっては過大に評価付けをしたり個人を大きく見せなければ成り立たないと言う当時だけではないが今もこの所は変わってはないかも

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    1. そこについては、現地で調達される特務もいたので、中野道臣氏はそちらだと思いますね。ちゃんとした教育を受けた特務というと、中村天風氏が知られていますね。

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  6. 宗氏が特務機関に居たというのは俗説ではなく、本人が自称したものです。
    だから正しいとは言えないとは思いますが。
    大山某氏のような極端な例もありますし。

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