2012年7月3日火曜日

極真空手 その強さと弱点

   若い時に行った極真の本部道場の熱気は、今も覚えている。そして、あの重いサンドバックがほとんど垂直にグイッと持ち上がる凄まじい回し蹴りや野性味あふれる(というか野蛮な)組み手、強くなりたいという根本的な欲望にストレートに答えてくれる物を、当時の極真は持っていた。少林寺の高段者であっても、あの回し蹴り一発で終わりだろうなという感じは今も持っている。

   当時から、極真は弱点があると言われていた。フルコンタクトの宿命で、顔面へのパンチが危険であるという理由で、禁止されていたのである。極真からキックボクシングに転向すると、最後までこのことがネックになる。共通して顔面の防御が甘く、また間合いの取り方がわからないのである。


   極真は、顔面への手での攻撃が禁止されている。そのため攻撃はパンチでの胴体への攻撃、キックでの下段、中段への攻撃が主体となる。キックでの頭部への攻撃は可能なのだが、これは防御さへ心得ておけば、まずあたるものではない。結局、胴部と足への攻撃が主体となる。これらの部分はある程度鍛えると、打たれても我慢できるようになるので、結局、体に筋肉をつけて鎧とし、間合いを詰めて前に出て、ひたすら相手にパンチとキックをたたき込むということとなる。結局、例外はあるが、体の大きい筋肉をよくつけた者が勝つということになる。
一時、極真の試合はつまらないと言われた。でかい体の者が、ひたすら体を寄せ合い、パンチ、キックを浴びせあい、我慢大会をしているというものである。実際、今もそんなに変わっているわけではない。そして、結果、顔面はがら空きである。そういう前提で体のさばきが身についているので、いざ顔面ありとなると、自分の攻撃体系自体を見直す必要が出てきて、なかなか転換がきかない。伝統空手が極真に勝てるとすると、この部分であろう。
   しかし、極真のフルコンタクトで鍛えた体と圧倒的な破壊力は、今でも大したもので、「極真なんか顔面を叩けばそれで終わりだよ」などどいう言葉がネットに溢れているが、本当にそう思うなら入門するか、極真の人にことわって、組み手をやってみられるとよい。なまはんかな顔面攻撃では、通用しないのも事実である。

   ところで、昭和50年前後の極真は、先ほど書いたルールで競技化を始めて間もない時であった。そのため、顔面は打たないものの、当然それはありという前提で攻撃が組み立てられていた。当時の組み手の間合いは今より遠く、本部道場ではもうなかったが、地元の公民館で習っていた時には、顔面のカバーが甘いと「顔面が甘い」と怒鳴られ、同時に平手で張り手が入れられていた。それより以前は、手に手ぬぐいを巻き、顔面を殴っていたと言うことなので、ちょうど競技空手への移行期だったのだと思う。(手ぬぐいを巻くのは、衝撃を和らげるためではなく、相手の歯が手に刺さるのを防ぐためだそうである)

   今の極真は、当時に比べるとずいぶんソフトになったようだ。そして先に述べたような欠点もあるのは事実であるが、それでも痛みに耐えながら、自分を鍛え上げていくというのは、武道として大切なことだと思う。自分には無理だったが、極真の黒帯になっていたら、少し人生が変わっていただろうなという思いは、今も持っている。またほんの一時期だったが、ああいう激しい気迫に満ちた世界に触れられたということは、大変、有意義であったと感じている。

1 件のコメント:

  1. 素晴らしいですね。
    とても良い内容だと思います。

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