バッハ作曲「アリオーソ」 美しい曲です。
チェロをスズキ式で習う人は、教則本に掲載されているので、ほとんどの人が「聞いたことがある」か「弾いたことがある」曲になります。
しかし、この曲はどういう気持ちで弾くのが正解なのでしょう。正解というのはあるのでしょうか。
ただ弾くのならいざしらず「どう弾くのか」と考え出すと、難しい曲です。
・・・ということで、背景を調べてみました。(と言ってもネットに漂う情報を整理したものですので、確証はありません)
この曲の原曲は、どうやら1710年代に作曲され今は散失している「ヴァイオリン協奏曲 ト短調」にあるようです。そして、このメロディーは、1729年「カンタータ156番」の第一曲シンフォニア、さらに1738年から1742年頃の「チェンバロ協奏曲第5番 ヘ短調」の第二楽章に使用され、さらに後年、各楽器用に編曲されたものが、現在のアリオーソということになるような。
まとめるとこんな感じ
ヴァイオリン協奏曲 ト短調 1710年代 散失
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カンタータ156番「片足は墓穴にありて我は立つ 」
第1曲 シンフォニア 1729年
↓
チェンバロ協奏曲第5番 ヘ短調の第二楽章 ラルゴ
1738年から1742年頃
↓
後年、各楽器用に編曲 「アリオーソ」として弾かれる
カンタータ156番「片足は墓穴にありて我は立つ 」は6部構成で、アリオーソのメロディは、第1曲「シンフォニア」でオーボエで演奏される。合唱が入るのは第2曲以降である。
神父さんが、マタイによる福音書 第8章(ハンセン病や中風、熱病の人とイエスとの会話とそれを癒す場面)についてお話をされ、その後で、このカンタータが演奏されたのでしょう。作曲はバッハ、作詞はバッハと同時代の人と思われます。
当然、歌詞も、病に侵され死に瀕した人と神との会話が中心になっている。
第二曲「アリア」の歌詞は次のような内容です。
私はすでに片足を墓にかけています
衰えたからだもすぐに墓に入るでしょう
私はすでに家財を整理しました
私の魂が世を去るべき時に
私の魂を受けて下さい
主よ!あなたのみ手の中に
どうぞ私の終わりを安らかなものとして
下さい
このことから、一般的にアリオーソには、死への諦観と生に対する慈しみ、神への感謝が感じられると解釈されているようです。
その通りだと思いますが、ただこの旋律をバッハは30年間、何回か再使用しています。使い回しと言えばそうなんですが、バッハにとってもこの旋律は「いいメロディやね!」というもので、何回かつかってみたくなるものだったのでしょう。そのため、あまりカンタータだけにとらわれ、あまり極端に深読みする必要は無いように思います。
とはいえ、他のヴァイオリン協奏曲にせよチェンバロ協奏曲にせよ、教会で演奏されるものです。当然のことながら、どの曲も大衆に向けた衒いは含まず、神への敬虔な祈りが込められていることは間違いないように思います。
「神に感謝し、神から与えられた生を慈しみ、この曲を演奏する」ということが、私の一応の結論になります。
ですので、へんに盛り上げようとしないで静謐な感じで弾いたほうが良いように思います。ピアニストのコルトーはそんな感じで弾いていますよね。
では、弾いてみましょう。
シーーーー(ビョヨヨヨーーン) ド レ ミ ラーーーーー(ボョヨヨーーン)
何か耐えられないほど下品です。
ビブラートのかけ方云々の前に、基本的にこの曲を弾くのに必要不可欠な「敬虔さ」という感覚が、私には無いように思います。この感覚は私だけではなく、戦後の日本人が失ってしまった感覚(たぶん欧米人には残っている)のようにも思います。
もう爺なのでこういう感覚がわかってきてもいいんですが、私にはもう少し時間が必要なようです。
ビョヨヨヨーーン ボョヨヨーーン、バッハがより柔らかくなりました。素晴らしいです。敬虔さ…はよくわかりませんがバッハには宇宙を感じます。
返信削除解説をありがとうございました いろいろな楽器で演奏されるメロディーにはこのような背景があったのですね 何とも心落ち着く良い曲です
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