2017年1月25日水曜日

「西郷どん」というイメージの消失について

お正月には、本棚にあった「翔ぶが如く」司馬遼太郎を読んでいた。私の世代は「西郷どん」と聞くだけである種、独特のイメージがわく。しかし、今の若い人は「西郷隆盛」と聞くとどんなイメージを、というよりイメージ自体あるのだろうか。


娘の歴史の教科書を見ると、薩長同盟のところで、
中心人物として 
「薩摩藩 西郷隆盛 大久保利通」  
「長州藩 高杉晋作 木戸孝允」
と書いてあるだけである。

そして、今の子は、たぶん教科書の知識で終わっているのではないかと思う。

同じように赤穂浪士の討ち入りも、若い人はどうとらえているのだろう。
「隠居していた老人の家に、四十七人もの武装した集団が明け方に踏み込み、隠れている老人を引きずり出して殺害した」事件が、何故、日本人の琴線に触れたのかは、昔から外国人には理解できないと言われていたが、同じような困難さを若い人に感じる。

西郷さんも赤穂浪士も、細かく説明をすれば「理解」は得られるかも知れないが「共感」までは難しいように思う。

現在、歴史の時代区分は、安土桃山時代→江戸時代のあとは明治→大正→昭和→平成となっているが、たぶんしばらくすると、明治維新から1945年の終戦までで一時代となり(大日本帝国時代でしょうか?略して日帝時代はいやだな。)、後はその後となるだろう。

価値観やある種の意識は、時代が変わると断絶するものと続いていくものがある。枕草子や徒然草にある美意識などは、1000年の時の流れを超えて継承されている。

しかし、元禄から300年伝えられてきた意識の一部は、今、急速に失われようとしているような感じがする。





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