2017年1月1日日曜日

小学校算数 「3.9+5.1=9.0」 9.0という答がダメな理由

小学生の算数の授業で、9が正解で9.0と書いたら減点され、それに対して、一緒だろとか9.0の方が正確だろうとか、これは子どもにとって拷問に近いとか、何やら、かまびすしいことである。

まず、理解しないといけないのは、この問題は
「小数点を初めて習う小学生に、小数点の概念をどう教えるか」
ということだということである。



たぶん、理解の速い子どもたちは、普通に授業をして「8.7→8.8→8.9→9.0となるので、9.0は今まで習った9と同じだね」と言えば、それで理解すると思う。しかし、成績が中くらいの子どもたちには、より丁寧に具体例などをあげて、何回か繰り返し教えないと、小数点という概念自体が飲み込めないだろう。また、子どもはこちらが思わぬような理解の仕方をしている場合がある。成績が上位の子でも、結構ユニークな子がいるので、わかっていると思っても丁寧な指導が必要だろう。

そこを怠ると、6年生になってこんなことを言う子が出てくるのではないか。
「先生、数字の9と9.0は違うものですよねえ」
「えええええ!!!」

小数点という概念そのものがわかっていなかったり、なかには、9は9.0~9.9までの数字を代表するものとして理解する可能性もある。

この先生は、「9.0は、君たちが今まで習ってきた9と同じなんだ」ということをきちんと理解させたかったのだろう。だから、今は「9.0は9と書きましょう」という指導をしたのだろう。
ベテランの先生方は、子どもたちの陥りやすい勘違いもよくわかっているので、そこらへんのことも踏まえて、注意深く授業を組み立てているようである。
小学校教育というのは、細かい配慮が必要な難しいものなのである。


いつも思うのだが、こういう教育問題となると、何やら外野はやかましいのだが、肝心の現場の先生の声は聞こえてこない。
先生方の態度に、こういう問題には、何やら議論に参加するのも疲れる、所詮、現場のことはわからない、授業の1つ1つにある児童との教育の微妙な感覚は理解してもらえないという諦観が感じられる。
こうなってしまう原因には、1970年代ぐらいからはじまった教育たたきの風潮も関係あるのだが、今回の問題にも、説明しようとすると難しい、微妙な現場特有の感覚があるように思う。


たぶん答案を返した時に、「ええ?」という顔を子どもがしている可能性がある。それを見逃さず、そこで納得させられる指導ができるかどうかは教師の力量の一つだろうが、この子は9は9.0であるということは十分理解しているようである。

そういう子を納得させるためには、先に述べたような「学級にはいろいろな子がいること」「だから先生はこういう風に今は教えていること」を説明した上で、「だから9って書こうね」と言わなければ納得が得られないだろう。もう一つは、説明を省いて「君は十分わかっているようだから、9.0で丸にするよ」といっても納得はするだろう。

学校の分刻みの忙しい時間帯で、このような時間を持つのはなかなか難しいようである。またこれは言い方を十分に考えないと「先生は他の子は馬鹿だと思っている」という変な取り方をする可能性がある。小学生にこのような指導経過を理解させるのは大変困難であろう。また「君は丸に」と言う処置は、他の十分に理解していない子も丸にすることになり、教育上よろしくない。

結局、「こう書くのがきまりだから」が無難な言い方なのである。
そしてこの言い方には、多くの子どもを対象にする教育現場の難しさが根底にある。

小学校の先生は、全員に理解させるということを目標に日々頑張っておられると思っている。今回のことは、普段からの保護者・子どもとの関係作りや授業構成で改善すべきところがなかったか、言葉不足の部分がなかったか等、見直す点はあるかもしれないが、「全員が理解し」「全員が納得する」が理想だが、その経過で「全員に納得」までできないこともあるということは、大人は理解しなければいけない。

この子も高校生になっても、「何で減点だったのかなあ、へんなの」とは思うだろうが、それを大きな問題化するほどのことだろうか。

教育問題は国民全員が口をはさみやすく、興味関心も高い問題であることはわかるが、生半可な知識や思い付きで意見を言うことは止めて、もう少し先生方を信頼されたらとも思うのだか。








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