2015年8月27日木曜日

チェロと高齢者  オケはそろそろ引退なのかなあ?

私の所属している交響楽団には、最高齢80歳になられる方がいる。若い時にはあまり感じなかったが、最近は高齢になっても続けておられる人を見ると、つくづく偉い方だなあと思うようになった。

老人になってくると、多くのことが楽器を続けていく障害になる。私が50歳ぐらいの時に、交響楽団に63歳で復帰されたチェロ弾きの方がおられた。楽譜が、A3版×2で作られており、譜面台からはみ出た譜面を、眼鏡を何回もかけ直し懸命に見つめて、頑張っておられたのを覚えている。楽譜が見えなかったのだろうと思う。その後、半年ほどでやめてしまわれたが、今となってはその気持ちがよくわかる。

加齢による障害とは、次のようなことがある。

①目が衰え、楽譜が読めなくなること。
今、私は目の前に譜面台をおけば、何とか見えるのだが、正式にプルトに一台という形で置くと、楽譜が明確に見えない。♯と♮は、何年か前から判別できないが、書いてある指使いとかも見えない。ボーイングも昔のように書くと全然わからない。大きく書けばよいのだが、字が小さいから見えないというより、目の解像度が衰えてくるという感じが強い。



②覚えが悪くなること。
ボーイングも、わかりきったところも緊張するとわからなくなるので、一応念のために書いておかないとだめである。 指使いも、何回練習しても、体で覚えるということが無くなってくるので、きちんと書いておくことになる。指揮者からの指示はもちろん全部記入である。
結果、自分の楽譜が頼りとなるわけだが、プルトで自分以外の楽譜をのせられると、その時点でほとんどひけなくなる。また先に書いたように目が衰えているので、自分の楽譜でも少し位置が遠くなると、それだけでだめになる。

③上達しなくなること
これが、実は一番ショックなことであった。
 若い時は、練習していて結局できなくても、楽器に触らなくても、二三日後にひくとできるようになっていることさえあった。
ところが今は、家で練習して、「これで、できるな」と思っても、二、三日後に全体練習で合わせると、できなくなっている。「10」のものが「7」でなく、「10」のものが「2」まで戻るような感じで、まさに、作っても崩れ、作っても崩れを繰り返す、砂で塔をたてている気分である。
今までは無かったことである。
体で覚えるということがなくなってきているのである。

④感性が鈍ってくるためか、以前ほど音楽をやっていてもおもしろくないこと
年齢と共に、ひいていても、昔感じたようなおもしろさがなくなっていく。これは音楽に限らず、年を取ると生き生きとした感性をたもつことは困難なのだが、やはり寂しいことである。

⑤急な変更がきかない。
ボーイングや指使いの急な変更にはついていけなくなる。慣れるまで長い時間が必要である。また新たな曲には、なかなか馴染めない。

⑥これらのことが積み重なって、気持ちが委縮していくこと


急な変更がきかず、あいかわらず間違ったひき方をする。
←なにしてんだ、この人、平然と間違うなよ。さっき言ったことがわかんねえのかよ。

大きく拡大され、ボーイングや指使いなど大きな字で記入してある楽譜。
←なんだこの異様な譜面は。こんだけ拡大するとかえって見にくいなあ。それに普通こんなことまで楽譜に書かないよね。

譜面が見えず、小節番号を言われてもわからずオロオロしている。
←どこからでるかも、わからないのかよ。なにしてんだこの人。

(譜面台に自分のでない譜面をのせられ)何やらおたおたとひいている。
←なにこのひき方。長くやっていると聞いたので横でひくのちょっと緊張してたのに。あほくさ。へたくそなんだね。

このような若い人が私を見る目は、三十数年前の自分自身の視点でもある。
このようなことが積み重なり、自分を見る周囲の目も感じ、結局、止めてしまうのである。


もう少し続けていきたいという思いはあるのだが、そういうわけで、しんどさがつのっている次第である。


日本のアマオケチェリストの最高齢は何歳なのだろう。
高齢でもつづけるためには、どういう心構えや注意をするとよいのだろう。

やはり一人でひっそりひいたほうが、迷惑もかからんし、いいのかなあ。









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